都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段
醉ノ中ニ夢ヲトキ、世ヲ惑スコト哀ニアラズヤ、早ク孔孟ノ一ヲ可知、孔子孟子ハ割符ノ如シ、孔子ヲ是トセバ、孟子モ是ナリ、孟子ノ性善ヲ貴ビ、糟ヲ食ヒ與スルニハ非ズ、我心ニ合フユヘナリ、加樣ニ說時ハ、甚知リ易ニ似レドモ、此上ヲ味ヒ得コトカタシ、味ヒ得バ、生死ハ一致ナリ、是故ニ、朝聞道夕死可矣ト、孔子モノ玉ヘリ、扠孔孟ノ曰所ノ善ヲ、世ニ見誤コト多シ、性ガ善ナラバ、世ノ中ハ皆善人ニテ、惡人ハナキ筈ナリ、然ルニ惡人モ多ケレバ、定メテ虛名ナラント疑フ者多シ、是以テ味ヒ得者少ナリ、如何トナレバ、今日ノ上、此ハ善彼ハ惡ト、善惡對々ノ善ト見ルユヘニ、聖人ノ宗ヲ失シテ、大ナル謬出ル所ナリ、
新字:酔ノ中ニ夢ヲトキ、世ヲ惑スコト哀ニアラズヤ、早ク孔孟ノ一ヲ可知、孔子孟子ハ割符ノ如シ、孔子ヲ是トセバ、孟子モ是ナリ、孟子ノ性善ヲ貴ビ、糟ヲ食ヒ与スルニハ非ズ、我心ニ合フユヘナリ、加様ニ説時ハ、甚知リ易ニ似レドモ、此上ヲ味ヒ得コトカタシ、味ヒ得バ、生死ハ一致ナリ、是故ニ、朝聞道夕死可矣ト、孔子モノ玉ヘリ、扠孔孟ノ曰所ノ善ヲ、世ニ見誤コト多シ、性ガ善ナラバ、世ノ中ハ皆善人ニテ、悪人ハナキ筈ナリ、然ルニ悪人モ多ケレバ、定メテ虚名ナラント疑フ者多シ、是以テ味ヒ得者少ナリ、如何トナレバ、今日ノ上、此ハ善彼ハ悪ト、善悪対々ノ善ト見ルユヘニ、聖人ノ宗ヲ失シテ、大ナル謬出ル所ナリ、
書き下し
酔の中に夢をとき、世を惑すこと哀にあらずや。早く孔孟の一を知るべし。孔子孟子は割符の如し。孔子を是とせば、孟子も是なり。孟子の性善を貴び、糟を食ひ与するには非ず、我心に合ふゆへなり。加様に説時は、甚知り易に似れども、此上を味ひ得ことかたし。味ひ得ば、生死は一致なり。是故に、朝に道を聞かば夕に死すとも可なりと、孔子もの玉へり。扠孔孟の曰所の善を、世に見誤こと多し。性が善ならば、世の中は皆善人にて、悪人はなき筈なり。然るに悪人も多ければ、定めて虚名ならんと疑ふ者多し。是以て味ひ得者少なり。如何となれば、今日の上、此は善彼は悪と、善悪対々の善と見るゆへに、聖人の宗を失して、大なる謬出る所なり。
現代語訳
酔ったまま夢を解いて聞かせ、世の人を惑わすのは哀れなことではありませんか。早く孔子と孟子の「一」を知るべきです。孔子と孟子は割符のようにぴたりと合います。孔子を正しいとするなら孟子も正しい。わたしが孟子の性善を尊ぶのは、酒粕を食べて孟子に味方しているのではなく、自分の心に合うからです。このように説くと、とても分かりやすいように思えますが、ここから先を味わい得ることは難しい。味わい得れば、生と死は一つです。だから孔子も『朝に道を聞けば、夕べに死んでもよい』とおっしゃいました。さて、孔子や孟子の言う善を、世間では見誤ることが多い。性が善なら世の中は善人ばかりで悪人はいないはずだ、それなのに悪人も多いのだから、きっと名ばかりだろうと疑う者が多いのです。そのために味わい得る人が少ない。なぜなら、日々の事柄の上で、これは善、あれは悪と、善と悪とが向き合う意味での善と見るので、聖人の根本を見失って、大きな誤りが出てくるのです。
解説

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