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都鄙問答 / 卷之一・都鄙問答ノ段

曰、知ル者ノ善ナルコトハ、聞ヘ侍リキ、然レバ少シニテモ聞タル者ハ、彌進ベキコトナルニ、前方ハ汝ノ方ヘ進來レドモ、今ハ少シ緩者有ト云コトハ如何、答、左樣ナル人モ有リ、其人最初ニ思フヤウハ、今マデ遊興ヲ好ム心モ、利欲ニ耽心モ、柔弱モ忽ニ止ミ、心淸淨ニシテ、樂ムベシト思ヒシ所ニ、忠孝ト家業ヲ精ニ入レ身ヲ敬マザレバ、安樂ニナラレズ、舊染ノ人欲出テ行難、行ハザレバ心ヲ欺、道心ト人心ト戰ユヘニ、中ヲ苦ム、後ハ善カラント思ヘドモ、當分ガ窮屈ユヘニ、進マザル者アリ、子曰、困而不學、民斯爲下矣ノ玉フ、コレナリ、

新字:曰、知ル者ノ善ナルコトハ、聞ヘ侍リキ、然レバ少シニテモ聞タル者ハ、弥進ベキコトナルニ、前方ハ汝ノ方ヘ進来レドモ、今ハ少シ緩者有ト云コトハ如何、答、左様ナル人モ有リ、其人最初ニ思フヤウハ、今マデ遊興ヲ好ム心モ、利欲ニ耽心モ、柔弱モ忽ニ止ミ、心清浄ニシテ、楽ムベシト思ヒシ所ニ、忠孝ト家業ヲ精ニ入レ身ヲ敬マザレバ、安楽ニナラレズ、旧染ノ人欲出テ行難、行ハザレバ心ヲ欺、道心ト人心ト戦ユヘニ、中ヲ苦ム、後ハ善カラント思ヘドモ、当分ガ窮屈ユヘニ、進マザル者アリ、子曰、困而不学、民斯為下矣ノ玉フ、コレナリ、

書き下し

曰く、知る者の善なることは、聞こえ侍りき。然れば少しにても聞きたる者は、弥々進むべきことなるに、前方は汝の方へ進み来たれども、今は少し緩む者有りと云ふことは如何。答ふ、左様なる人も有り。其の人最初に思ふやうは、今まで遊興を好む心も、利欲に耽る心も、柔弱も忽ちに止み、心清浄にして、楽しむべしと思ひし所に、忠孝と家業を精に入れ身を敬まざれば、安楽になられず、旧染の人欲出でて行ひ難く、行はざれば心を欺き、道心と人心と戦ふゆへに、中を苦しむ。後は善からんと思へども、当分が窮屈ゆへに、進まざる者あり。子曰く、困しみて学ばざる、民斯を下と為すとのたまふ、これなり。

現代語訳

故郷の者は言いました。「心を知った者がよいことは分かりました。それなら少しでも聞いた者はますます進むはずなのに、以前はあなたのところへ熱心に来ていたのに、今は少し足が遠のいている者がいるというのはどういうことですか。」梅岩は答えました。「そういう人もいます。その人は最初、これまでの遊びを好む心も、利欲にふける心も、弱い心もたちまちやんで、心が清らかになって楽しめるだろうと思っていたのです。ところが、忠孝と家業に精を出して身を慎まなければ安楽にはなれない。昔から染みついた欲が出て行いがたく、行わなければ心を欺くことになり、道心と人心が戦うので、胸の内が苦しい。後にはよくなるだろうと思っても、当面が窮屈なので進まなくなる者がいるのです。孔子が『行き詰まっても学ばない者、民はこれを下とする』と言われたのがこれです。」

解説

学び始めた人がやがて足が遠のく、という現実を梅岩は隠しません。最初は、聞けばすぐに欲や怠け心が消えて楽になると期待したのに、実際には忠孝と家業に励まなければ安楽は来ない。染みついた欲と、道を行おうとする心とが胸の内で戦い、その窮屈さに耐えられなくなるのだと分析します。論語季氏篇の「困しみて学ばざる、民斯を下と為す」を引いて締めました。学びの成果は即効では現れないという、研修や自己啓発にもそのまま当てはまる冷静な観察です。

この章句が説くこと

継続人欲道心窮屈学び

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