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廟堂忠告 / 調燮第五

人皆曰燮理陰陽為宰相事。然舉世苐能道其辭,迄不知陰陽何術可以燮理。按書周官,三公論道經邦,燮理陰陽,盖周之三公即今宰輔。而漢丞相平亦曰:宰相上佐天子,理陰陽,順四時。厥後又有灾異免三公之制,世俗所云,盖本諸此。切甞即是以思:宰相所以調燮者,非能旱焉而使之雨,雨焉而使之暘,要不越盡人事以來天地之和而己矣。夫天之與人,若判然而實相表裏,盖政事順則民心順,民心順則天地之氣順,天地之氣順則陰陽從而序矣。若廼怙勢立威,挾權縱欲,惡人異已,謟佞是親,於所言者不言,於所救者不救,上下相蒙,惟務從命。如此欲望民心順、陰陽之氣和,難矣。大拞天道之災祥,視民心之苦樂;民心之苦樂,視政事之失得;政事之失得,視宰相之賢与不賢。昔丙吉舍死人問牛喘,自以為淂體,殊不知天道逆順,當於政事觀之,固不在區區一牛之喘與否也。晉庾冰為相,或謂天文錯度,宜盡消禦之道,冰曰:玄象豈吾所側,正當勤盡人事。冰之此言,可謂蕳眀切要,深得宰相之體者矣。苟政事脩整,雖陰陽之和不應,乃天道之變也,又何慊焉?苟政事龐焉棼焉而不理,雖禎祥集而風雨時若,顧敢以為治乎?嗚呼,凡為相者,誠能以是求之,則天人之理瞭然矣。

新字:人皆曰燮理陰陽為宰相事。然舉世苐能道其辞,迄不知陰陽何術可以燮理。按書周官,三公論道経邦,燮理陰陽,盖周之三公即今宰輔。而漢丞相平亦曰:宰相上佐天子,理陰陽,順四時。厥後又有灾異免三公之制,世俗所云,盖本諸此。切甞即是以思:宰相所以調燮者,非能旱焉而使之雨,雨焉而使之暘,要不越尽人事以来天地之和而己矣。夫天之与人,若判然而実相表裏,盖政事順則民心順,民心順則天地之気順,天地之気順則陰陽従而序矣。若廼怙勢立威,挟権縦欲,悪人異已,謟佞是親,於所言者不言,於所救者不救,上下相蒙,惟務従命。如此欲望民心順、陰陽之気和,難矣。大拞天道之災祥,視民心之苦楽;民心之苦楽,視政事之失得;政事之失得,視宰相之賢与不賢。昔丙吉舎死人問牛喘,自以為淂体,殊不知天道逆順,当於政事観之,固不在区区一牛之喘与否也。晉庾冰為相,或謂天文錯度,宜尽消禦之道,冰曰:玄象豈吾所側,正当勤尽人事。冰之此言,可謂蕳眀切要,深得宰相之体者矣。苟政事脩整,雖陰陽之和不応,乃天道之変也,又何慊焉?苟政事龐焉棼焉而不理,雖禎祥集而風雨時若,顧敢以為治乎?嗚呼,凡為相者,誠能以是求之,則天人之理瞭然矣。

書き下し

人皆曰う、陰陽を燮理(しょうり)するは宰相の事たり、と。然れども世を挙げて苐(た)だ能く其の辞を道うのみにて、迄(つい)に陰陽何の術を以て燮理すべきかを知らず。書の周官(しゅうかん)を按ずるに、三公は道を論じ邦を経(おさ)め、陰陽を燮理すと。蓋し周の三公は即ち今の宰輔(さいほ)なり。而して漢の丞相丙吉(へいきつ)も亦た曰く、宰相は上は天子を佐(たす)け、陰陽を理(おさ)め、四時に順(したが)う、と。厥(そ)の後又灾異(さいい)に三公を免ずるの制有り、世俗の云う所、蓋し諸(これ)を此に本(もと)づく。切(せつ)に嘗て即ち是を以て思うに、宰相の調燮(ちょうしょう)する所以の者は、能く旱(ひでり)にして之を雨らしめ、雨にして之を暘(は)らしむるに非ず。要は人事を尽くして以て天地の和を来たすを越えざるのみ。夫れ天の人に与(お)けるや、判然たるが若くにして実は相表裏す。蓋し政事順なれば則ち民心順なり、民心順なれば則ち天地の気順なり、天地の気順なれば則ち陰陽従いて序す。若し廼(すなわ)ち勢いを怙(たの)みて威を立て、権を挟みて欲を縦(ほしいまま)にし、人を悪(にく)みて己に異ならしめ、謟佞(とうねい)是れ親しみ、言う所の者に言わず、救う所の者を救わず、上下相蒙(あいおお)いて惟だ命に従うことを務む。此くの如くにして民心の順、陰陽の気の和を望まんと欲するも、難きかな。大氐(たいてい)天道の災祥(さいしょう)は民心の苦楽を視、民心の苦楽は政事の失得を視、政事の失得は宰相の賢と不賢とを視る。昔丙吉、死人を舎(お)きて牛の喘(あえ)ぐを問う。自ら以て体(たい)を得たりと為すも、殊に天道の逆順は当に政事に於いて之を観るべく、固より区区(くく)たる一牛の喘ぐと喘がざるとに在らざるを知らざるなり。晋の庾冰(ゆひょう)相と為るや、或るひと、天文錯度(さくど)すれば宜しく消禦(しょうぎょ)の道を尽くすべしと謂う。冰曰く、玄象(げんしょう)豈に吾が側(かたわ)らにする所ならんや、正に当に人事を勤め尽くすべし、と。冰の此の言、蕳眀切要(かんめいせつよう)にして、深く宰相の体を得たる者と謂うべし。苟(いやし)くも政事脩整(しゅうせい)ならば、陰陽の和応ぜずと雖も、乃ち天道の変なり、又何をか慊(あきた)らざらん。苟くも政事龐焉(ほうえん)棼焉(ふんえん)として理(おさ)まらざれば、禎祥(ていしょう)集まりて風雨時に若(したが)うと雖も、顧(かえ)りて敢えて以て治まると為さんや。嗚呼、凡そ相為(た)る者、誠に能く是を以て之を求むれば、則ち天人の理瞭然(りょうぜん)たり。

現代語訳

人は皆、陰陽の調和を図ることが宰相の仕事だと言う。しかし世間の人々はただその言葉を口にするだけで、陰陽をどのような方法で調和させればよいのかをまったく理解していない。『書経』の周官篇を調べてみると、三公は治国の道を論じ国家を治め、陰陽を調和させるとある。周の三公とは、今でいう宰相にあたる。漢の丞相であった丙吉もまた、宰相は上は天子を補佐し、陰陽を治め、四季の運行に従わせるものだと言った。その後、天変地異が起こると三公を罷免するという制度もでき、世間で言われる「宰相が陰陽を調える」という考え方は、おおむねここに由来する。私はこのことについて常々考えてきた。宰相が陰陽を調えるというのは、日照りのときに雨を降らせたり、雨のときに晴れさせたりする力を持つという意味ではない。要するに、人としてなすべきことを尽くして、天地の調和を招き寄せるという以上のことではないのだ。そもそも天と人とは、一見まったく別のもののようでいて、実は表裏一体である。政治がうまくいけば民の心が穏やかになり、民の心が穏やかになれば天地の気も穏やかになり、天地の気が穏やかになれば陰陽もそれに従って秩序立つ。ところがもし権勢に頼って威を振るい、権力を握って欲望のままに振る舞い、自分と意見の異なる者を憎み、へつらう者ばかりを近づけ、言うべきことを言わず、救うべき者を救わず、上下ともにごまかし合ってただ命令に従うことだけを務めるならば、そのような状況で民の心の平穏や陰陽の調和を望んでも、それは難しいことだ。だいたい天が示す災いや吉兆は民の心の苦しみや楽しみを映し出し、民の心の苦楽は政治の巧拙を映し出し、政治の巧拙は宰相が賢明か否かを映し出す。昔、丙吉は道端の死人には構わず牛が息を切らしているのを気にかけて尋ねた。彼はそれで宰相としての要領を得たつもりだったが、実は天道の順逆というものは政治のあり方において観察すべきものであって、たかが牛一頭が息を切らしているかどうかにあるのではないということを、彼はわかっていなかったのである。晋の庾冰が宰相であったとき、ある人が「天文の運行が乱れているので、これを消し去り防ぐための方策を尽くすべきだ」と言った。すると庾冰は「天の現象など、私がそばで扱えるものではない。ただひたすら人としてなすべきことを尽くすべきである」と答えた。この庾冰の言葉は、簡潔で要点を突いており、宰相としてのあるべき姿を深く体得したものと言えよう。もし政治がきちんと整っていれば、たとえ陰陽の調和が目に見える形で現れなくても、それは天道そのものの変化にすぎず、何を気に病むことがあろうか。逆に、もし政治が乱れ入り組んで治まっていなければ、たとえめでたい兆しが集まり風雨が時にかなって順調に見えたとしても、それをもって世が治まっていると言えるだろうか。ああ、およそ宰相たる者が、本当にこの考え方によって物事を求めていくならば、天と人との道理はおのずと明らかになるはずである。

解説

本章は「陰陽を調える」という宰相の伝統的な役割を、迷信的な意味から人間の努力による政治の良し悪しへと読み替える。天変地異は民の苦楽を映し、民の苦楽は政治の巧拙を映し、政治の巧拙は宰相の賢愚を映すという因果の連鎖を示し、丙吉が牛の喘ぎを気にかけた故事や庾冰が天文の乱れより人事を尽くすべきと答えた故事を引いて、宰相の本分は超自然的な現象への対処ではなく地道な政治の実践にあると説く。吉兆が集まっても政治が乱れていれば治世とは言えないという指摘は、見せかけの好業績や偶然の追い風に惑わされるなという戒めでもある。現代の経営者にとっても、業績の良し悪しを運や外部環境のせいにせず、組織運営という自らコントロールできる領域を誠実に尽くすことこそが、結果として組織全体の安定と調和をもたらすという普遍的な教訓を含んでいる。

この章句が説くこと

陰陽人事を尽くす政治の巧拙実践

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