荀子 / 儒効篇
不聞不若聞之,聞之不若見之,見之不若知之,知之不若行之。學至於行之而止矣。行之,明也;明之為聖人。聖人也者,本仁義,當是非,齊言行,不失豪釐,無他道焉,已乎行之矣。故聞之而不見,雖博必謬;見之而不知,雖識必妄;知之而不行,雖敦必困。不聞不見,則雖當,非仁也。其道百舉而百陷也。
新字:不聞不若聞之,聞之不若見之,見之不若知之,知之不若行之。学至於行之而止矣。行之,明也;明之為聖人。聖人也者,本仁義,当是非,斉言行,不失豪釐,無他道焉,已乎行之矣。故聞之而不見,雖博必謬;見之而不知,雖識必妄;知之而不行,雖敦必困。不聞不見,則雖当,非仁也。其道百舉而百陥也。
書き下し
聞かざるは之を聞くに若かず、之を聞くは之を見るに若かず、之を見るは之を知るに若かず、之を知るは之を行うに若かず。学は之を行うに至りて止む。之を行えば、明らかなり。之を明らかにするを聖人と為す。聖人なる者は、仁義に本づき、是非に当たり、言行を斉しくし、豪釐を失わず。他の道無し、行うに已わるのみ。故に之を聞きて見ざれば、博しと雖も必ず謬る。之を見て知らざれば、識ると雖も必ず妄なり。之を知りて行わざれば、敦しと雖も必ず困しむ。聞かず見ざれば、則ち当たると雖も、仁に非ざるなり。其の道は百挙して百陥るなり。
現代語訳
聞かないよりは聞くほうがよく、聞くよりは見るほうがよく、見るよりは知るほうがよく、知るよりは行うほうがよい。学問は、実行するところまで至ってはじめて完結する。実行すれば、物事は明らかになる。明らかにできる者を聖人という。聖人とは、仁義を根本に据え、是非の判断が的確で、言葉と行いを一致させ、わずかの狂いもない者である。ほかに特別な道があるわけではない。ただ実行し尽くすだけである。だから、聞いただけで見なければ、いくら博識でも必ず誤る。見ただけで知らなければ、いくら見識があるように見えても必ず的外れになる。知っていて行わなければ、いくら熱心でも必ず行き詰まる。聞きもせず見もしなければ、たまたま当たることがあっても、それは仁ではない。そのやり方では、百回試みて百回とも失敗する。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』魯問魯の南鄙の人に吳慮なる者有り。冬は陶し夏は耕して、自ら舜に比す。子墨子、聞きて之に見ゆ。吳慮、子墨子に謂う、「義のみ、義のみ。焉んぞ之を言うを用いんや」と。子墨子曰く、「子の所謂る義なる者は、亦た力有りて以て人を勞し、財有りて以て人に分かつか」と。吳慮曰く、「有り」と。子墨子曰く、「翟、嘗て之を計れり。翟、耕して天下の人に食わしめんことを慮る。盛んにして、然る後に一農の耕に當たる。諸を天下に分かたば、人ごとに一升の粟をも得る能わず。藉りて以て一升の粟を得と為すも、其の天下の饑を飽かしむる能わざるは、既に睹る可し。
-
『法句経』第六 賢哲の部 八六〜八八 黒法を離れ白を修す八六 正しく説かれたる法あるとき其法を遵行する人のみ彼岸に到る、死の境域は越ゆること甚だ難し。 八七 智者は黒法を離れて白(法)を修すべし、在家より非家に趣き、悦び難き孤独を 八八 楽ふべし、智者は諸の欲を去り、一物をも所有せず、己を浄めて諸の煩悩を除くべし。
-
『大和俗訓』巻之八・応接一人常にわが身をかへりみて、わが身に道を求むべし。実をつとめて、外をねがふ心あるべからず。人を責め、外に求むるは、実をつとむるにあらず。論語の内、孔子の言に、人の己を知らざることをうれへざれ、人を知らざることをうれふ。かやうの語、数章あり。其語意、大抵相似たり。聖人しばしばのたまふは、皆人に実を務むることを教へ給ふなるべし。学者の常に心に掛けて行ふべきことなり。
-
『講孟余話』盡心上 第四十一章甚しいかな、公孫丑の道を信ぜざるや。上の第三十九章に於て斉の宣王の為めに短喪を問ひたるも此の人なり。其の所見孔門の宰予と同じ(論語陽貨篇、「宰我問ふ、三年の喪は期にして已に久し」云々)。蓋し朽木糞土、復た雕杇すべからざる者なり。故に其の道に於ける、未だ嘗て躬行心得せず、只是れ孟子の議論博大なるを聞きて「高し美し」となす。知りて知らず、道は日用常行、事物当然、人々行ふに任せ、一も高遠艱深及ぶべからざるの事なし。只行はざるを憂ふるのみ。孟子深く丑を怒る、故に其の言却つて高美益々及ぶべからざるが如し。大匠と羿とを以て自ら居り、直に丑を卸し付けて拙工拙射となす。大匠・羿の譬へは告子上篇の末章にもあれども、其の詞気の寛猛を視て、孟子の丑を怒る声色共に厲しきを想像すべし。結末「能者之に従ふ」の一句尤も厲し。蓋し能の字、前の両つの拙の字に対して下す。謂へらく、吾が道は只能者のみ之に従ふ、汝が如き拙者の及ぶ所に非ずとなり。想ふに、当日丑此の語を聞き、辟易退縮するのみにて、遂に孟子の意を悟らざるべし。或いは是れより丑復た孟子の門に入らざるか。下篇中、孔子の語を引きて、「我が門を過ぎて我が室に入らざるも、我憾みざる者は、其れ惟だ郷原か」と云ふは、殆ど此の種の人の為めに発するが如し。
-
『酔古堂剣掃』集素・麈尾の閒談は畫餅の如し身外に身有り、麈尾を捉りて口を矢ひて閒談するは、真に畫餅の如し。 竅中に竅有り、蒲團に向かひて心を回らし究竟するは、方に是れ力田なり。
-
『格言聯璧』學問類・聖賢の道を以て己を治むるは難し手を下す處は是れ自彊不息、成就する處は是れ至誠無息。 聖賢の道を以て人を教ふるは易く、聖賢の道を以て己を治むるは難し。 聖賢の道を以て口に出すは易く、聖賢の道を以て躬ら行ふは難し。 聖賢の道を以て始めに奮ふは易く、聖賢の道を以て終りを克くするは難し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る