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風憲忠告 / 臨難苐九

夫人臣而當國家言責之任,刑辱之事,不敢必其無有,要在順處靜伺,以理□之而巳。若乃求哀乞憐,惴讋无所,巳先撓矣,何以自眀?夫盡已之職,為國為民而得罪,君子不以為辱,而以為榮。雖縲紲之,荊楚之,斧鉞之,庸何愧哉?歷觀自古處禍患而不乱者,三代而下,如子路之結纓,宜僚之正色,王景文之与客弈碁,劉禕之自書謝表,魏元忠之聞赦不動,是皆有以真知義命所在,非區區人力所得而移也。然士君子平昔所飬,其情与偽,於焉可以見之。李斯臨刑,父子相泣;楊子雲被收,□閣幾死;王坦之與謝安齊名,桓溫來朝,倒執手板;崔浩自比子房,為辨史事,聲嘶股栗,便溺不能隱。此可見彼惟事名耳,而於聖賢性命之學,實未甞淂諸心也。善乎,韓文公之言曰:「儒者之於患難,苟非其自取之,其拒而不受於懷也,若築河堤以障屋霤;其容而消之也,若水之於海,氷之於夏日;其玩而忘之以文辭也,若奏金石以破蟋蟀之鳴。」故君子之學,以眀理自信為貴。

新字:夫人臣而当国家言責之任,刑辱之事,不敢必其無有,要在順処静伺,以理□之而巳。若乃求哀乞憐,惴讋无所,巳先撓矣,何以自眀?夫尽已之職,為国為民而得罪,君子不以為辱,而以為栄。雖縲紲之,荊楚之,斧鉞之,庸何愧哉?歴観自古処禍患而不乱者,三代而下,如子路之結纓,宜僚之正色,王景文之与客弈碁,劉禕之自書謝表,魏元忠之聞赦不動,是皆有以真知義命所在,非区区人力所得而移也。然士君子平昔所飬,其情与偽,於焉可以見之。李斯臨刑,父子相泣;楊子雲被収,□閣幾死;王坦之与謝安斉名,桓温来朝,倒執手板;崔浩自比子房,為弁史事,声嘶股栗,便溺不能隠。此可見彼惟事名耳,而於聖賢性命之学,実未甞淂諸心也。善乎,韓文公之言曰:「儒者之於患難,苟非其自取之,其拒而不受於懐也,若築河堤以障屋霤;其容而消之也,若水之於海,氷之於夏日;其玩而忘之以文辞也,若奏金石以破蟋蟀之鳴。」故君子之学,以眀理自信為貴。

書き下し

夫れ人臣にして國家言責の任に當れば、刑辱の事、敢えてその無き有るを必とせず、要は順って處り靜かに伺い、理を以てこれを□するに在るのみ。若し乃ち哀を求め憐れみを乞い、惴讋(ずいしょう)して所無ければ、巳に先ず撓(たわ)む、何を以てか自ら眀(あき)らかにせん。夫れ已の職を盡くし、國の爲民の爲にして罪を得るは、君子は以て辱と為さず、以て榮と為す。縲紲(るいせつ)せらると雖も、荊楚せらると雖も、斧鉞せらると雖も、庸(なん)ぞ愧(は)ずること何かあらんや。歷(あまね)く自古(いにしえよ)り禍患に處して亂れざる者を觀るに、三代よりの下、子路の纓(えい)を結ぶが如き、宜僚(ぎりょう)の色を正すが如き、王景文の客と碁を弈(う)つが如き、劉禕(りゅうい)の自ら謝表を書すが如き、魏元忠の赦を聞きて動ぜざるが如き、是れ皆真に義命の在る所を知る有るを以てなり、區區(くく)たる人力の得て移す所に非ざるなり。然れども士君子平昔(へいせき)飬う所、其の情と偽と、焉(ここ)に於いて以て見るべし。李斯刑に臨みて父子相泣き、楊子雲(揚子雲)收(とら)えられて□閣ほとんど死せんとし、王坦之謝安と名を齊しくするも、桓溫朝に來たるや倒(さかしま)に手板を執り、崔浩自ら子房に比するも、史事を辨ずるが為に聲嘶(か)れ股栗(こりつ)し、便溺(べんでき)隱すこと能わず。此れ彼れ惟だ名を事とするのみにして、聖賢性命の學に於いては實に未だ甞て諸(これ)を心に淂(え)ざりしを見るべし。善いかな、韓文公の言に曰く、「儒者の患難に於けるや、苟しくも其れ自らこれを取るに非ざれば、其の拒みて懷に受けざるや、河堤を築きて以て屋霤(おくりゅう)を障(ふせ)ぐが若し。其の容れてこれを消すや、水の海に於ける、氷の夏日に於けるが若し。其の玩びてこれを文辭を以て忘るるや、金石を奏でて以て蟋蟀(しっしゅつ)の鳴くを破るが若し」と。故に君子の學は、理を眀らかにし自ら信ずるを以て貴しと為す。

現代語訳

そもそも臣下として国家の言論・諫言の責務を担う以上、刑罰や恥辱を受けることが絶対にないとは言い切れない。大切なのは、置かれた状況に従って心を静めて機をうかがい、道理によってこれに対処することだけである。もし哀れみを求めこびへつらい、びくびくと恐れて拠り所を失うようであれば、その時点ですでに志は挫けている。それでどうして自分の潔白を明らかにできようか。そもそも自分の職務を尽くし、国のため民のために罪を得るのであれば、君子はそれを恥とはせず、むしろ栄誉とする。たとえ縄で縛られようと、荊の杖で打たれようと、斧や鉞で処刑されようと、いったい何を恥じることがあろうか。古来、災難に遭ってもうろたえなかった人々を見渡すと、夏殷周三代以降でも、子路が冠の紐を結び直して死に臨んだこと、宜僚が顔色一つ変えなかったこと、王景文が客と碁を打ち続けたこと、劉禕が自ら上奏文をしたためたこと、魏元忠が恩赦の知らせを聞いても顔色一つ変えなかったことなどがある。これらはみな、天命と正義の所在を真に理解していたからであり、取るに足らない人の力で動かせるものではなかった。しかし、士人や君子が普段養ってきたものの本物か偽物かは、まさにこうした場面で見えてくる。李斯は処刑に臨んで息子と抱き合って泣き、揚子雲(揚雄)は捕らえられそうになり高殿から身を投げてほとんど死にかけ、王坦之は謝安と並び称される名声を持ちながら、桓温が朝廷にやって来たときには恐怖のあまり笏を逆さに持ち、崔浩は自らを張良になぞらえていたが、史書の記述をめぐって弁明を迫られると声はかすれ膝は震え、大小便を漏らして隠すこともできなかった。これを見れば、彼らはただ名声のためだけに事に当たっていたのであって、聖人賢者の説く生命の道理については、実際には少しも自分のものとして体得していなかったことがわかる。まことに良いことに、韓愈(韓文公)はこう言っている。「儒者が患難に遭うとき、それが自ら招いたものでなければ、それを拒み心の中に受け入れないさまは、堤防を築いて雨だれから家を守るようなものである。それを受け容れて消し去るさまは、水が海に注がれるように、氷が夏の日差しで溶けるようなものである。それを弄んで文章によって忘れ去るさまは、鐘や石の楽器を奏でてコオロギの鳴き声をかき消すようなものである。」だから君子の学問は、道理を明らかにし自分自身を信じることを何より貴ぶのである。

解説

臨難篇は、監察官という職務には刑罰や辱めを受ける危険がつねに伴うことを直視し、いざという場面での真の胆力とは何かを問う。子路や宜僚のように動じなかった者と、李斯や揚雄、王坦之、崔浩のように平素の名声とは裏腹に土壇場で取り乱した者とを対比し、日頃の修養が本物かどうかは危機の瞬間にこそ現れると説く。韓愈の言葉を引き、患難を拒むのではなく道理によって受け止め消化せよと諭す結びは、平時の自己研鑽と有事の胆力とが表裏一体であることを教える。現代の管理職にとっても、危機管理能力とは日頃の見識と自己信頼の蓄積の上に成り立つものだという示唆に富む一篇である。

この章句が説くこと

危機胆力義命自信

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