風憲忠告 / 薦舉苐六
夫士有公天下之心,然後能舉天下之賢。盖天下之事,非一人所能周知,亦非一人所能獨成,必兼收博采,治理可望焉。故前輩謂「報國莫如薦賢」,真知要之言哉。今夫富者之於家,有田焉,必求良農使之耕;有貨焉,必求能啇使之賈;有牛羊焉,必求善豢者使之牧。何則?盖彼拳拳於治家,故不得不求其人也。况受天下之寄,任天下之責者,乃不知求天下才共治之,豈其智之不若彼富者哉?由其為國之心,未甞如其為家之心之切故也。於此有人焉,廉而且幹,雖有不共戴天之仇,公論之下,亦不得而掩焉;苟非其人,雖骨肉之親,公論之下,亦不得而私焉。世常謂「風憲非親不保,非仇不彈」,又有身為憲佐風御史,薦己就陞者。嗚呼,委以黜陟百官之權,授以儀表百司之職,乃不思報効,惟假之以行已私,人則受其欺矣,天地鬼神其受欺乎?大抵求而後舉,不若不求而舉之為公;識而後薦,不若采之輿議之為博。夫己不求賢,必使人之求已者,皆非也。盖求則不必舉,舉則不必識矣。故古人有聞而舉者,有見而舉者,有舉仇者,有舉親者,有集為簿者,有拜其剡者,有書之夾袋者。雖其舉不一,要極於公當無私而已。於戲,誠如是,則為相、為風憲者,安有臨事乏才之嘆?
新字:夫士有公天下之心,然後能舉天下之賢。盖天下之事,非一人所能周知,亦非一人所能独成,必兼収博采,治理可望焉。故前輩謂「報国莫如薦賢」,真知要之言哉。今夫富者之於家,有田焉,必求良農使之耕;有貨焉,必求能啇使之賈;有牛羊焉,必求善豢者使之牧。何則?盖彼拳拳於治家,故不得不求其人也。况受天下之寄,任天下之責者,乃不知求天下才共治之,豈其智之不若彼富者哉?由其為国之心,未甞如其為家之心之切故也。於此有人焉,廉而且幹,雖有不共戴天之仇,公論之下,亦不得而掩焉;苟非其人,雖骨肉之親,公論之下,亦不得而私焉。世常謂「風憲非親不保,非仇不弾」,又有身為憲佐風御史,薦己就陞者。嗚呼,委以黜陟百官之権,授以儀表百司之職,乃不思報効,惟仮之以行已私,人則受其欺矣,天地鬼神其受欺乎?大抵求而後舉,不若不求而舉之為公;識而後薦,不若采之輿議之為博。夫己不求賢,必使人之求已者,皆非也。盖求則不必舉,舉則不必識矣。故古人有聞而舉者,有見而舉者,有舉仇者,有舉親者,有集為簿者,有拝其剡者,有書之夾袋者。雖其舉不一,要極於公当無私而已。於戯,誠如是,則為相、為風憲者,安有臨事乏才之嘆?
書き下し
夫れ士に天下を公とするの心有りて、然る後に能く天下の賢を舉ぐ。盖し天下の事は一人の能く周知する所に非ず、亦た一人の能く獨り成す所に非ず、必ず兼收博采して、治理望むべし。故に前輩謂う「國に報ゆるは賢を薦むるに如くは莫し」と、真に要を知るの言なるかな。今夫れ富者の家に於けるや、田有れば必ず良農を求めてこれをして耕さしめ、貨有れば必ず能啇(のうしょう)を求めてこれをして賈(こ)せしめ、牛羊有れば必ず善く豢(やしな)う者を求めてこれをして牧せしむ。何となれば則ち、彼れ治家に拳拳(けんけん)たるが故に、其の人を求めざるを得ざればなり。况んや天下の寄を受け天下の責に任ずる者、乃ち天下の才を求めて共にこれを治むるを知らざれば、豈に其の智の彼の富者に若かざらんや。其の國を為すの心、未だ甞て其の家を為すの心の切なるが如くならざるに由るが故なり。此に人有り、廉にして且つ幹(かん)なれば、共に天を戴かざるの仇有りと雖も、公論の下、亦た掩(おお)うを得ず。苟しくも其の人に非ざれば、骨肉の親と雖も、公論の下、亦た私するを得ず。世常に謂う「風憲は親に非ざれば保せず、仇に非ざれば彈ぜず」と。又た身憲佐風御史(けんさふうぎょし)為る者にして、己を薦めて陞(のぼ)るに就く者有り。嗚呼、委ぬるに百官を黜陟(ちゅっちょく)するの權を以てし、授くるに百司の儀表たるの職を以てするに、乃ち報効を思わず、惟だこれを假りて以て己が私を行なわば、人は則ち其の欺きを受けん、天地鬼神其れ欺きを受けんや。大抵求めて後に舉ぐるは、求めずして舉ぐるの公為るに若かず。識りて後に薦むるは、これを輿議に采るの博きに若かず。夫れ己れ賢を求めずして、必ず人の己を求めしむる者は、皆非なり。盖し求むれば則ち必ずしも舉げず、舉ぐれば則ち必ずしも識らず。故に古人聞きて舉ぐる者有り、見て舉ぐる者有り、仇を舉ぐる者有り、親を舉ぐる者有り、集めて簿と為す者有り、其の剡(えん)を拜する者有り、これを夾袋(きょうたい)に書す者有り。其の舉は一ならずと雖も、要は公當無私に極まるのみ。於戲(ああ)、誠に是くの如くならば、則ち相為り風憲為る者、安んぞ事に臨みて才に乏しきの嘆有らんや。
現代語訳
士は天下を自分のものと私せず公とする心があって、はじめてよく天下の賢者を推挙できる。そもそも天下のことは一人ですべてを知り尽くせるものではなく、一人だけで成し遂げられるものでもない。必ず広く人材を集め、多くの意見を採り入れてこそ、はじめて秩序ある政治が望める。だから先人は「国に報いるには賢者を推挙するのが一番だ」と言った。まことに要点をついた言葉である。さて富裕な家では、田があれば必ず優れた農夫を求めて耕作させ、財貨があれば必ず優れた商人を求めて商売させ、牛羊があれば必ず飼育に長けた者を求めて世話をさせる。なぜか。彼らは家を治めることに一心不乱だから、そのための人材を求めずにはいられないのだ。まして天下の重責を任された者が、天下の人材を求めてともに治めることを知らないのでは、その知恵が富裕な者にも及ばないということになりはしないか。それは国を思う心が、家を思う心ほど切実でないからである。ここに、清廉で有能な人物がいれば、たとえ不倶戴天の仇であっても、公の議論の場ではその功績を覆い隠すことはできない。逆にふさわしくない人物であれば、たとえ肉親であっても、公の議論の場では私することはできない。世間ではよく「監察官は身内でなければかばわず、仇でなければ弾劾しない」などと言う。また監察の補佐や御史でありながら、自分を推薦して昇進しようとする者もいる。ああ、官吏の進退を決める権限を委ねられ、百官の模範となるべき職を授けられていながら、恩に報いることを考えず、その職権を借りて私利私欲を行うならば、人はその欺きにだまされても、天地の神々までも欺けるだろうか。おおよそ求められてから推挙するよりは、求められなくても推挙するほうが公正であり、自分一人が知って推薦するよりは、世間の議論から広く採るほうが視野が広い。自分から賢者を求めず、人に自分を求めさせようとする者は、みな誤りである。求めれば必ずしも推挙するとは限らず、推挙しても必ずしも人物を深く知っているとは限らない。だから昔の人には、噂を聞いて推挙する者、実際に会って推挙する者、仇を推挙する者、身内を推挙する者、名簿に集めておく者、推薦状を拝受する者、書き付けを袋に入れておく者などがいた。その推挙の仕方は一様ではないが、肝心なのは公正で私心がないという一点に尽きる。ああ、まことにそうであれば、宰相となり監察官となる者に、どうして事に臨んで人材に乏しいという嘆きがあろうか。
解説
この章句が説くこと
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