歎異抄 / 第二条
おのおの十余ヶ国の境を越えて、身命を顧みずして訪ね来らしめたまう御志、ひとえに往生極楽の道を問い聞かんがためなり。 しかるに、念仏よりほかに往生の道をも存知し、また法文等をも知りたるらんと、心にくく思し召しておわしましてはんべらば、大きなる誤りなり。
書き下し
おのおの十余ヶ国の境を越えて、身命を顧みずして訪ね来らしめたまう御志、ひとえに往生極楽の道を問い聞かんがためなり。 しかるに、念仏よりほかに往生の道をも存知し、また法文等をも知りたるらんと、心にくく思し召しておわしましてはんべらば、大きなる誤りなり。
現代語訳
あなたがたそれぞれが、十カ国あまりの国境を越え、命の危険を顧みずに訪ねてきてくださったお志は、ひとえに往生極楽への道を尋ね聞きたいがためであろう。しかし、念仏のほかにも往生の道を知っており、また経典の意味なども知っているだろうと、心の中でひそかに期待しておられるのだとしたら、それは大きな誤りである。
解説
遠路はるばる訪ねてきた弟子たちに対し、親鸞は自分に特別な秘伝や学識があるわけではないとまず釘を刺す。人は権威や経験のある相手に、何か特別な答えを期待してしまいがちだが、その期待自体が的外れであると最初に断られる場面である。誰かに教えを乞うとき、自分は何を本当に求めているのかを見つめ直させられる箇所であり、憧れや権威への過剰な期待から離れて向き合うことの大切さを教えてくれる。
この章句が説くこと
求道期待誤解