酔古堂剣掃 / 集倩・默を養ふに如かず
急不急之辨,不如養默;處不切之事,不如養靜;助不直之舉,不如養正;恣不禁之費,不如養福;好不情之察,不如養度;走不實之名,不如養晦;近不祥之人,不如養愚。
新字:急不急之弁,不如養黙;処不切之事,不如養静;助不直之舉,不如養正;恣不禁之費,不如養福;好不情之察,不如養度;走不実之名,不如養晦;近不祥之人,不如養愚。
書き下し
急ならざるの辨を急にするは、默を養ふに如かず。 切ならざるの事に處するは、靜を養ふに如かず。 直ならざるの舉を助くるは、正を養ふに如かず。 禁ぜざるの費を恣にするは、福を養ふに如かず。 情ならざるの察を好むは、度を養ふに如かず。 實ならざるの名に走るは、晦を養ふに如かず。 祥ならざるの人に近づくは、愚を養ふに如かず。
現代語訳
急がなくてよい弁明を急ぐよりは、沈黙を養うほうがよいのです。切実でない事柄にかかずらうよりは、静けさを養うほうがよいのです。まっすぐでない企てを手助けするよりは、正しさを養うほうがよいのです。歯止めのない浪費をほしいままにするよりは、福を養うほうがよいのです。人情にもとる詮索を好むよりは、度量を養うほうがよいのです。実のない名声を追いかけるよりは、才を隠して目立たぬことを養うほうがよいのです。不吉な人に近づくよりは、愚かなふりを養うほうがよいのです。
解説
不如養の形を七回重ねて、してはならないことと養うべきものを対にした一則です。急がなくてよい弁解より黙、切実でない雑事より静、不正な企てへの加担より正、限りない浪費より福、思いやりに欠ける詮索より度、実のない名声より晦、不吉な人との交わりより愚、と並びます。晦は才能や光を隠して目立たないこと、愚は小賢しさを捨てて愚直に構えることで、どちらも身を守る知恵とされてきました。養という字が大切で、黙も静も正も、一度で身につくものではなく、日々育てていくものだという考えが込められています。福を養うとは、浪費を慎んで福を減らさず蓄えることで、惜福の考えにも通じます。集倩の終わり近くに、こうした処世の教えが置かれているのは興味深いところです。何かしたくなったとき、それより養うべきものは何かと自問する習慣は、今の私たちにも役立つでしょう。
この章句が説くこと
処世沈黙修身節制度量
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