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酔古堂剣掃 / 集倩・蕉雨は笙竽を奏づるが如し

羈客在雲村,蕉雨點點,如奏笙竽,聲極可愛。山人讀《易》、《禮》,鬥後騎鶴以至,不減聞韶也。

新字:羈客在雲村,蕉雨点点,如奏笙竽,声極可愛。山人読《易》、《礼》,鬥後騎鶴以至,不減聞韶也。

書き下し

羈客雲村に在りて、蕉雨點點として、笙竽を奏づるが如く、聲極めて愛すべし。 山人『易』・『禮』を讀み、鬥後鶴に騎りて以て至る、韶を聞くに減ぜざるなり。

現代語訳

旅人が雲に包まれた村に泊まっていると、芭蕉の葉を打つ雨がぽつりぽつりと鳴って、笙や竽を奏でているようで、その音はとても心地よいものです。山に住む人が『易経』や『礼記』を読み、夜更けて鶴に乗ってやってくる、それは孔子が韶の音楽を聞いた喜びにも劣りません。

解説

雨音と読書の声を、古代の雅楽にもたとえた一則です。羈客は旅先に身を寄せている人、雲村は雲のかかる山あいの村です。芭蕉の大きな葉に雨が当たる音を、笙や竽という管楽器の合奏になぞらえています。後半の鬥後騎鶴以至は意味の取りにくいところですが、北斗が傾くころ、つまり夜更けに、鶴に乗る仙人のような山人が訪ねてくるさまと解しました。韶は古代の聖王舜の音楽で、孔子が斉の国でこれを聞き、三か月も肉の味がわからなかったほど感動したと『論語』にあります。雨音や学問の声を、最上の音楽にも劣らないと言うところに、身近なものの中に至上の美を見いだす感性があります。静かな夜に耳を澄ませば、特別な演奏でなくとも、心を打つ音楽は身の回りにあふれているのでしょう。

この章句が説くこと

雨音音楽論語風雅

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