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酔古堂剣掃 / 集法・石去りて草復た生ず

能輕富貴,不能輕一輕富貴之心,能重名義,又復重一重名義之念,是事境之塵氛未掃,而心境之芥蒂未忘。此處拔除不凈,恐石去而草復生矣。

新字:能軽富貴,不能軽一軽富貴之心,能重名義,又復重一重名義之念,是事境之塵氛未掃,而心境之芥蒂未忘。此処抜除不浄,恐石去而草復生矣。

書き下し

能く富貴を輕んずるも、一の富貴を輕んずるの心を輕んずること能はず。能く名義を重んずるも、又た復た一の名義を重んずるの念を重んず。是れ事境の塵氛未だ掃はれずして、心境の芥蒂未だ忘れざるなり。此の處拔除淨からずんば、恐らくは石去りて草復た生ぜん。

現代語訳

富や地位を軽んじることはできても、富や地位を軽んじているという自負の心までは軽んじることができません。名誉や道義を重んじることはできても、さらに名誉や道義を重んじているという思いまで重んじてしまいます。これは、事柄の上での塵はまだ払われておらず、心の中のわだかまりもまだ忘れられていないということです。ここを根こそぎきれいに取り除かなければ、おそらく石をどけてもまた草が生えてくるでしょう。

解説

欲を捨てたという自負こそが、最後に残る執着だと鋭く指摘した一則で、菜根譚にもほぼ同じ句があります。富貴を軽んじる人は立派ですが、自分は富貴にとらわれない人間だという誇りを持った瞬間、それが新たな執着になります。名義を重んじる人も、それを重んじている自分に酔えば、同じことです。塵氛は俗世の塵、芥蒂は胸のわだかまりです。石去りて草復た生ずは、上から押さえつけていた石をどけると、また雑草が生えてくるように、根を抜かなければ執着は何度でもよみがえるというたとえです。

この章句が説くこと

執着修身内省名利無我

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この一句を、あなたの毎日に。

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