酔古堂剣掃 / 集法・世に處するは一步を退く
立身高一步方超達,處世退一步方安樂。
新字:立身高一歩方超達,処世退一歩方安楽。
書き下し
身を立つるは一步を高うして方に超達し、世に處するは一步を退きて方に安樂なり。
現代語訳
身を立てるには、人より一歩高いところに志を置いてこそ、抜きん出て達することができます。世の中を渡るには、一歩退いてこそ、安らかで楽しくいられます。
解説
志は高く、振る舞いは一歩引いて、という生き方の二面を示した一則です。菜根譚にも、身を立てるには一歩高く、世に処するには一歩退けという趣旨の言葉があります。超達は、俗を抜け出て高い境地に至ることです。自分を磨く目標は周りより高く掲げ、しかし人との関係では一歩譲る。これを両立させるのは簡単ではありません。志が高い人ほど、周りを見下したり押しのけたりしがちだからです。高い志と低い腰、その両方を持つ人が、人の中で長く力を発揮できるのでしょう。
この章句が説くこと
処世立志謙虚修身譲歩
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