酔古堂剣掃 / 集豪・浪りに眉を皺めず
敢於世上放開眼,不向人間浪皺眉。
書き下し
敢へて世上に於て眼を放ち開き、人間に向かひて浪りに眉を皺めず。
現代語訳
思い切って世の中に向かって目を大きく見開き、人の世に向かってむやみに眉をひそめたりはしません。
解説
世の中に対する大らかな構えを、目と眉の対比で描いた一則です。眼を放ち開くとは、狭い料簡にとらわれず、広く世の中を見渡すことです。浪りに眉を皺めずとは、世の不条理や人の欠点にいちいち顔をしかめないことです。広く見れば、目の前の小さな不快事はそれほど大きなことではなくなります。豪放とは、乱暴に振る舞うことではなく、こうした心の広さのことなのでしょう。職場でも、細かなことにいちいち眉をひそめる人より、大きく構えて笑っていられる人のまわりに、人は集まるものです。
この章句が説くこと
寛容豪放処世度量達観
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