酔古堂剣掃 / 集綺・紅蕖倒生す
瑩以玉琇,飾以金英。綠芰懸插,紅蕖倒生。
新字:瑩以玉琇,飾以金英。緑芰懸挿,紅蕖倒生。
書き下し
瑩くに玉琇を以てし、飾るに金英を以てす。 綠芰懸插し、紅蕖倒生す。
現代語訳
玉のような美しい石で磨き立て、金の花で飾っています。緑の菱が吊り下げて挿され、紅い蓮が逆さまに生えています。
解説
宮殿や楼閣の華麗な装飾を描いたと思われる一則です。玉琇は玉に次ぐ美しい石、金英は金で作った花飾りのことです。後の二句の、緑の菱が吊り下がり、紅い蓮が逆さに生えているという描写は、天井の装飾を思わせます。漢の王延寿の「魯霊光殿賦」には、天井に蓮を逆さに植えたように描いた装飾が詠まれており、中国の宮殿建築では、天井の格子に蓮の花などを逆さに描いたり彫ったりする意匠がありました。水草を天井に配したのは、火災を防ぐまじないの意味もあったと言われます。短い四字句の連なりで、見上げる天井の華やかさを描き出しています。美しい細部に目を留める楽しみを教えてくれる句です。
この章句が説くこと
建築装飾蓮艶麗工芸
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