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酔古堂剣掃 / 集綺・絲竹も肉に如かず

銷魂之音,絲竹不如著肉。然而風月山水間,別有清魂銷於清響,即子晉之笙,湘靈之瑟,董雙成之雲璈,猶屬下乘。嬌歌艷曲,不盡混亂耳根。

新字:銷魂之音,糸竹不如著肉。然而風月山水間,別有清魂銷於清響,即子晋之笙,湘霊之瑟,董双成之雲璈,猶属下乗。嬌歌艶曲,不尽混乱耳根。

書き下し

銷魂の音は、絲竹も肉に著くに如かず。 然り而して風月山水の間、別に清魂の清響に銷する有り、即ち子晉の笙、湘靈の瑟、董雙成の雲璈も、猶ほ下乘に屬す。 嬌歌艷曲も、盡くは耳根を混亂せず。

現代語訳

魂をとろかすような音としては、弦楽器や管楽器も、人の肉声には及びません。けれども風や月、山や水の間には、また別に、清らかな響きに清らかな魂がとろけるものがあります。それに比べれば、子晋(周の王子喬)の笙、湘霊(湘水の女神)の瑟、董双成(西王母の侍女)の雲璈でさえ、なお下の部類に属します。艶やかな歌や曲も、すべてが耳を乱すわけではありません。

解説

音楽の上下を論じ、最上の音は自然の中にあるとした一則です。絲竹不如肉は、晋の孟嘉の言葉として知られ、弦は管に及ばず、管は人の声に及ばない、それは自然に近いからだと説明されています。著者はさらに進んで、風や月、山や水の間に響く清らかな音こそ最上で、仙人たちの伝説の楽器さえ及ばないと言います。子晋は笙を吹いて鳳凰の声をまねた王子喬、湘霊は楚辞に瑟を奏でると詠まれた湘水の女神、董双成は西王母に仕えて雲璈という楽器を奏でた仙女です。結びでは艶やかな歌曲もすべて悪いわけではないと添えています。自然に近いものほど人の心に深く響くという考え方は、今日の音楽の聴き方にも通じます。

この章句が説くこと

音楽自然風雅仙人清響

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