酔古堂剣掃 / 集綺・韓嫣の金彈
韓嫣金彈,誤了饑寒人多少奔馳;潘嶽果車,增了少年人多少顏色。
新字:韓嫣金弾,誤了饑寒人多少奔馳;潘嶽果車,增了少年人多少顔色。
書き下し
韓嫣の金彈は、饑寒の人の多少の奔馳を誤らしめ、 潘嶽の果車は、少年の人の多少の顏色を增す。
現代語訳
韓嫣(前漢の武帝の寵臣)が金の弾丸を用いたことは、飢えと寒さに苦しむ人々を、どれほど無駄に走り回らせたことでしょう。潘岳(晋の美男子の文人)の果物でいっぱいの車は、若者たちの顔色をどれほど華やがせたことでしょう。
解説
漢と晋の二人の人物の逸話を並べ、人を走らせるものについて考えさせる一則です。韓嫣は前漢の武帝に寵愛された人物で、黄金で作った弾を弾き弓で撃ち、一日に十数個もなくしたと伝えられます。長安の子どもたちは、飢えや寒さに苦しむ中、その金の弾を拾おうと追いかけ回したといいます。一方の潘岳は美男子で、車で出かけると女性たちが果物を投げ入れて車がいっぱいになったと伝えられ、若者たちの憧れの的となりました。一方は人を浅ましく走らせ、他方は人を華やがせたわけですが、どちらも富や美貌という外のものに人が振り回される姿です。何に心を奪われて走っているのか、自分に問うてみたくなります。
この章句が説くこと
故事富容姿欲望処世
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