酔古堂剣掃 / 集奇・正に是れ用世の高手
呂聖公之不問朝士名,張師高之不發竊器奴,韓稚圭之不易持燭兵,不獨雅量過人,正是用世高手。
新字:呂聖公之不問朝士名,張師高之不発窃器奴,韓稚圭之不易持燭兵,不独雅量過人,正是用世高手。
書き下し
呂聖公の朝士の名を問はざる、張師高の器を竊む奴を發かざる、韓稚圭の燭を持つ兵を易へざるは、獨り雅量人に過ぐるのみならず、正に是れ用世の高手なり。
現代語訳
呂聖公(宋の宰相呂蒙正)が自分を陰で嘲った朝廷の役人の名を問いたださなかったこと、張師高が器を盗んだ下僕を告発しなかったこと、韓稚圭(宋の宰相韓琦)が燭台を持つ兵を取り替えなかったこと、これらは単に度量が人並み外れて大きいというだけでなく、まさに世を治める達人の手腕です。
解説
三人の度量の大きさを示す逸話を並べた一則です。宋の呂蒙正は、宰相となったばかりのころ、簾の向こうからあんな若造が宰相かと嘲る声を聞いても、その者の名を調べさせませんでした。知れば一生忘れられなくなるから、というのです。韓琦、字は稚圭は、燭を持つ兵が不注意でひげを焦がしても、今は燭の持ち方を覚えたからと、取り替えさせなかったと伝えられます。張師高の話も、器を盗んだ下僕をあえて咎めなかったという同じ類いの逸話です。用世は世に用いられ、世を治めることです。人の小さな過ちを見逃す寛容さは、結果として人心をつかみ、組織をまとめる力になるのです。
この章句が説くこと
寛容度量治政人心処世
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