酔古堂剣掃 / 集素・夢寐俱に清し
心事無不可對人語,則夢寐俱清;行事無不可使人見,則飲食俱健。
新字:心事無不可対人語,則夢寐倶清;行事無不可使人見,則飲食倶健。
書き下し
心事人に對して語るべからざる無ければ、則ち夢寐俱に清し。 行事人をして見しむべからざる無ければ、則ち飲食俱に健やかなり。
現代語訳
心の中に、人に向かって話せないことが何もなければ、寝ても覚めても心が清らかです。行いの中に、人に見せられないことが何もなければ、飲むことも食べることもすこやかです。
解説
隠しごとのない生き方が、心身の健やかさにつながることを説いた一則です。前の句は心の中の思い、後の句は実際の行いを取り上げ、二つを対にしています。宋の司馬光は、自分の平生の行いで人に言えないものは一つもないと語ったと伝えられ、この句と同じ精神です。夢寐は眠っている間と目覚めている間、つまり昼も夜もということです。後ろめたいことを抱えていると、夜も眠れず食も細るものですが、何も隠すものがなければ心も体も軽やかでいられます。誠実さを道徳としてではなく、自分の健康のための習慣として捉え直すと、正直に生きることがずっと身近になるでしょう。
この章句が説くこと
修身誠実健康慎独清廉
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「言に實無きは不祥なり。不祥の實は、賢を蔽う者之に當る。」 <解説> この節は分かりにくい。朱注に云う、「或いは曰く、天下の言實に不祥なる者有る無し、惟れ賢を蔽い不祥の實を為すと、或いは曰く、言にして實無き者は不祥なり、故に賢を蔽い不祥の實を為す、二説同じからず、未だ孰れが是なるか知らず、疑うらくは或いは闕文有らん。」私は後説を採用し、かなり強引な解釈をした。やはり朱子の言うように闕分が有るのだろうか。
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「下位に居りて、上に獲られざれば、民得て治む可からざるなり。上に獲らるるに道有り。友に信ぜられずんば、上に獲られず。友に信ぜらるるに道有り。親に事えて悅ばれずんば、友に信ぜられず。親に悅ばるるに道有り。身に反して誠ならずんば、親に悅ばれず。身を誠にするに道有り。善に明らかならずんば、其の身に誠ならず。是の故に誠は、天の道なり。誠を思うは、人の道なり。至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり。誠ならずして、未だ能く動かす者有らざるなり。」
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