酔古堂剣掃 / 集靈・身後の名は生前の酒に若かず
奕秋往矣,伯牙往矣,千百世之下,止存遺譜,似不能盡有益於人。唯詩文字畫,足為傳世之珍,垂名不朽。總之身後名,不若生前酒耳。
新字:奕秋往矣,伯牙往矣,千百世之下,止存遺譜,似不能尽有益於人。唯詩文字画,足為伝世之珍,垂名不朽。総之身後名,不若生前酒耳。
書き下し
奕秋往けり、伯牙往けり、千百世の下、止だ遺譜を存するのみ、盡くは人に益有る能はざるに似たり。唯だ詩文字畫のみ、傳世の珍と為り、名を不朽に垂るるに足る。之を總ぶるに身後の名は、生前の酒に若かざるのみ。
現代語訳
碁の名人奕秋も去り、琴の名手伯牙も去りました。千年百年の後には、ただ残された棋譜や楽譜があるだけで、すべてが人の役に立つとは言えないようです。ただ詩文や書画だけは、世に伝わる宝となって、名を永遠に残すことができます。けれども結局のところ、死んだ後の名声は、生きているうちの一杯の酒に及ばないのです。
解説
芸の名声と、生きている今の楽しみとを比べた一則です。奕秋は孟子に登場する碁の名人、伯牙は春秋時代の琴の名手で、自分の音を理解した友の鍾子期が死ぬと琴の弦を断ったという故事で知られます。碁や音楽の名人も、死んでしまえば譜が残るだけで、その妙技は伝わりません。詩文や書画は作品として残るので名が伝わると一度は認めながら、最後に、それでも死後の名声より生前の一杯の酒だと言い切ります。これは晋の張翰の、身後の名は即時一杯の酒に如かずという言葉を踏まえたものです。名を残すことにとらわれすぎず、今を味わって生きることの大切さを教えてくれます。
この章句が説くこと
達観無常飲酒名声閑適
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