酔古堂剣掃 / 集靈・三者は皆自然の聲なり
段由夫攜瑟,就松風澗響之間曰,三者皆自然之聲,正合類聚。
新字:段由夫攜瑟,就松風澗響之間曰,三者皆自然之声,正合類聚。
書き下し
段由夫瑟を攜へ、松風澗響の間に就きて曰く、三者は皆自然の聲なり、正に類聚に合ふ、と。
現代語訳
段由夫は瑟を携えて、松風と谷川の響きの間に行き、「この三つはどれも自然の音だから、まさに仲間どうしとして集めるのにふさわしい」と言いました。
解説
楽器の音を、松風や谷川の音と同じ自然の音として並べた一則です。段由夫はこの話で知られる人物ですが、詳しい経歴はわかりません。瑟は大型の弦楽器で、人の手で奏でるものですが、心のままに弾くなら、それも松風や水音と同じく自然の声だというのです。類聚は同じ類のものを集めることです。人の奏でる音を自然から切り離さず、自然の中に置いて響き合わせるという感覚は、東洋の音楽観をよく表しています。室内で聴くのとは違い、屋外で楽器を奏でたり歌ったりすると、周りの音と溶け合って新しい響きが生まれます。人の営みも自然の一部として調和させようとする姿勢を学べます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
自然音楽風雅調和山水
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