酔古堂剣掃 / 集靈・我を愛する者も掩護の法を施す能はず
事到全美處,怨我者不能開指摘之端;行到至污處,愛我者不能施掩護之法。
新字:事到全美処,怨我者不能開指摘之端;行到至汚処,愛我者不能施掩護之法。
書き下し
事全美の處に到れば、我を怨む者も指摘の端を開く能はず。行ひ至污の處に到れば、我を愛する者も掩護の法を施す能はず。
現代語訳
物事を完全に立派なところまでやり遂げれば、自分を恨む者でさえ、あら探しのきっかけをつかめません。行いがこの上なく汚いところまで落ちれば、自分を愛してくれる者でさえ、かばう手立てがありません。
解説
結局は自分の行い次第であることを、敵と味方の両面から言った対句です。全美は欠けるところのない立派さ、指摘は欠点をあげつらうこと、掩護はかばって隠すことです。徹底してやり抜いた仕事には、敵も文句のつけようがありません。反対に、あまりに汚い行いをすれば、どれほど自分を大切に思ってくれる人でも守りきれません。人の評価は、味方の多さや敵の少なさより、自分の行いの質で決まるということです。批判を恐れて根回しに気を遣うより、仕事の質を上げることに力を注ぐほうが確かな守りになります。
この章句が説くこと
修身処世誠実仕事評判
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