酔古堂剣掃 / 集醒・聰明の人は極めて是れ事を誤る
大凡聰明之人,極是誤事。何以故,惟聰明生意見,意見一生,便不忍舍割。往往溺於愛河慾海者,皆極聰明之人。
新字:大凡聰明之人,極是誤事。何以故,惟聰明生意見,意見一生,便不忍舎割。往往溺於愛河慾海者,皆極聰明之人。
書き下し
大凡聰明の人は、極めて是れ事を誤る。 何を以ての故ぞ、惟だ聰明は意見を生じ、意見一たび生ずれば、便ち舍割するに忍びず。 往往にして愛河慾海に溺るる者は、皆極めて聰明の人なり。
現代語訳
おおよそ聡明な人は、ひどく物事を誤るものです。なぜかといえば、聡明さは自分なりの考えを生み、考えが一度生まれると、それを捨て去ることができなくなるからです。しばしば愛欲の河や欲望の海に溺れるのは、みな極めて聡明な人なのです。
解説
聡明さが落とし穴になる理由を、筋道立てて説明した一則です。意見はここでは自分なりの見解やこだわりを言います。頭のよい人は、何事にもすぐ自分の考えを組み立て、それに理屈をつけて正当化できます。そのため、いったん持った考えや思いを手放せず、かえって深みにはまってしまうのです。愛河慾海は仏教語で、愛欲や欲望を人を溺れさせる河や海にたとえたものです。愚かな人より賢い人のほうが執着を理屈で固めてしまうという指摘は、鋭いものがあります。頭の回転の速さに自信がある人ほど、自分の考えを一度脇に置いて見直す柔らかさを持ちたいものです。
この章句が説くこと
聡明執着欲謙虚自省
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