酔古堂剣掃 / 集醒・大事難事には擔當を看る
大事難事,看擔當;逆境順境,看襟度;臨喜臨怒,看涵養,群行群止,看識見。
新字:大事難事,看担当;逆境順境,看襟度;臨喜臨怒,看涵養,群行群止,看識見。
書き下し
大事難事には、擔當を看る。逆境順境には、襟度を看る。喜に臨み怒に臨みては、涵養を看る。群行群止には、識見を看る。
現代語訳
大事や難事にあたっては、その人の引き受ける力を見ます。逆境や順境にあっては、その人の度量を見ます。喜びや怒りに臨んでは、その人の修養の深さを見ます。人々とともに行い止まるときには、その人の見識を見ます。
解説
人物を見極める四つの場面と、そこで見るべきものを並べた一則です。担当は責任を引き受けて担う力、襟度は胸の広さ、涵養は心を深く養ってきた度合い、識見は物事を見通す力です。大きな難しい仕事を任されたとき、人はそれを引き受けるか逃げるかで器が知れます。逆境でも順境でも態度が変わらないかで、心の広さがわかります。喜怒の感情が動くときに取り乱さないかで、修養の深さがわかります。大勢と行動をともにするとき、流されずに判断できるかで、見識がわかります。これは人を見る物差しであると同時に、自分を鍛える指針でもあります。四つの場面で自分はどうふるまっているかを振り返ってみたいものです。
この章句が説くこと
人物担当度量涵養見識
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