酔古堂剣掃 / 集醒・局量寬大なれば三家邨も拘はらず
局量寬大,即住三家邨裏,光景不拘;智識卑微,縱居五都市中,神情亦促。
新字:局量寛大,即住三家邨裏,光景不拘;智識卑微,縦居五都市中,神情亦促。
書き下し
局量寬大なれば、即ち三家邨の裏に住むも、光景拘はらず。智識卑微なれば、縱ひ五都の市中に居るも、神情亦た促る。
現代語訳
度量が広く大きければ、たとえ三軒しかない寒村に住んでいても、暮らしぶりに窮屈さはありません。知識や見識が低く小さければ、たとえ五つの大都市の街中に住んでいても、心はやはりせせこましくなります。
解説
心の広さは住む場所によらないと説く対句です。局量は度量や器の大きさ、三家邨はわずか三軒の家しかない寒村です。五都は古代中国の五つの大都会で、繁華の地の代表です。器の大きな人は、辺鄙な田舎にいても、心の世界が広いので窮屈を感じません。反対に、見識の狭い人は、大都会にいても、心がせせこましく落ち着きません。人は環境を変えれば視野が広がると考えがちですが、実は視野を決めるのは心の器のほうだということです。地方か都会か、大きな会社か小さな会社かにかかわらず、読書や思索によって心の世界を広げていけば、どこにいても伸びやかに暮らせるのではないでしょうか。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
度量見識修身処世環境
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