酔古堂剣掃 / 集醒・吾が德を厚くして以て之を迓ふ
天薄我福,吾厚吾德以迓之;天勞我形,吾逸吾心以補之;天阨我遇,吾亨吾道以通之。
新字:天薄我福,吾厚吾徳以迓之;天労我形,吾逸吾心以補之;天阨我遇,吾亨吾道以通之。
書き下し
天我が福を薄くせば、吾吾が德を厚くして以て之を迓へん。天我が形を勞せば、吾吾が心を逸にして以て之を補はん。天我が遇を阨せば、吾吾が道を亨らせて以て之を通ぜん。
現代語訳
天が私の幸福を薄くするなら、私は自分の徳を厚くしてそれを迎えましょう。天が私の体を苦しめるなら、私は自分の心をのびやかにしてそれを補いましょう。天が私の境遇を行き詰まらせるなら、私は自分の道を貫いて、それを打ち開きましょう。
解説
運命の不遇に対して、自分の内側で応じる三つの構えを述べた一則です。菜根譚にもほぼ同じ句があり、そちらでは最後に天も我をどうすることもできないと結んでいます。福が薄ければ徳を厚くし、体が苦労すれば心を安らかにし、境遇が行き詰まれば道を通す、と三つが対になっています。迓うは迎えるの意で、不運を避けるのでなく正面から迎え入れる姿勢を表しています。天が与えるものは選べませんが、それにどう応じるかは自分で選べるという考え方です。仕事で報われない時期や体調の優れない時期にも、自分にできる修養や心の持ち方に目を向ければ、状況に振り回されずに済むのではないでしょうか。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
逆境修身天命立志忍
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