酔古堂剣掃 / 集醒・譽を要むるは名を逃るるに如かず
市恩不如報德之為厚,要譽不如逃名之為適,矯情不如直節之為真。
新字:市恩不如報徳之為厚,要誉不如逃名之為適,矯情不如直節之為真。
書き下し
恩を市るは德に報ゆるの厚しと為すに如かず、譽を要むるは名を逃るるの適と為すに如かず、情を矯むるは節を直くするの真と為すに如かず。
現代語訳
恩を売るのは、受けた徳に報いることの手厚さには及びません。誉れを求めるのは、名声から逃れることの心地よさには及びません。感情を偽って飾るのは、節を曲げずまっすぐ通すことの真実さには及びません。
解説
三つの「如かず」を重ねて、見せかけの善と本物の善とを比べた一則です。恩を市るとは、見返りを期待して恩を売ること、要誉は評判を得ようと求めることです。矯情は本心を偽って立派そうにふるまうこと、直節はまっすぐな節操のことです。それぞれ前者は人の目を意識した行い、後者は自分の内から出る行いになっています。厚い、適う、真という評価の言葉も、人間関係の深さ、心の安らぎ、誠実さと、三つの面から選ばれています。人に良く見られようとする努力は疲れるうえに見透かされやすいものです。受けた恩に報いること、評判を追わないこと、自分を偽らないことを心がけるほうが、長い目で見て信頼も心の平穏も得られるでしょう。
この章句が説くこと
名利修身誠実報恩処世
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