孫子 / 用間篇
昔殷之興也,伊摯在夏;周之興也,呂牙在殷。故明君賢將,能以上智為間者,必成大功。此兵之要,三軍之所恃而動也。
新字:昔殷之興也,伊摯在夏;周之興也,呂牙在殷。故明君賢将,能以上智為間者,必成大功。此兵之要,三軍之所恃而動也。
書き下し
昔、殷の興るや、伊摯夏に在り。周の興るや、呂牙殷に在り。故に明君賢将の能く上智を以て間と為す者は、必ず大功を成す。此れ兵の要にして、三軍の恃みて動く所なり。
現代語訳
昔、殷が興ったとき、伊尹は夏にいた。周が興ったとき、呂尚は殷にいた。だから賢明な君主や優れた将で、最高の知恵者を間者として使える者は、必ず大きな功を成す。これが兵法の要であり、全軍が頼りにして動くところである。
解説
孫子十三篇を締めくくる一段である。伊尹も呂尚も、後に名宰相となる人物が敵国側にいたという史実を引き、最高の人材こそ情報の任に当てよと説く。使い捨ての密偵ではなく、上智を間とする——ここに孫子の情報観が集約されている。そして全篇の結論が、戦術でも兵力でもなく「知ること」であった点は重い。攻めと守り、勢いと形を論じ尽くしたあとで、最後に置かれたのが情報である。判断の質は、結局のところ何を知っているかで決まる。
この章句が説くこと
上智為間伊尹呂尚情報結語
関連する章句
-
『墨子』尚同中故に古者、聖王は唯だ壹に尚同を以て正長と為す。是れ上下、請謁して通を為す。上に隠事遺利有れば、下、得て之を利し、下に蓄怨積害有れば、上、得て之を除く。是を以て數千萬里の外に善を為す者有れば、其の室人未だ徧く知らず、鄉里未だ徧く聞かざるに、天子、得て之を賞す。數千萬里の外に不善を為す者有れば、其の室人未だ徧く知らず、郷里未だ徧く聞かざるに、天子、得て之を罰す。是を以て天下の人を舉げて皆な恐懼振動惕慄して、敢えて淫暴を為さず、曰く、「天子の視聴や神なり」と。先王の言に曰く、「神に非ざるなり。夫れ唯だ能く人の耳目をして己が視聴を助けしめ、人の吻をして己が言談を助けしめ、人の心をして己が思慮を助けしめ、人の股肱をして己が動作を助けしむればなり」と。之を視聴するを助くる者衆ければ、則ち其の聞見する所の者は逺し。之を言談するを助くる者衆ければ、則ち其の徳音の撫循する所の者は博し。之を思慮するを助くる者衆ければ、則ち其の謀慮は速やかに得らる。之を動作するを助くる者衆ければ、則ち其の事を舉ぐること速やかに成る。
-
『墨子』尚同下子墨子言いて曰く、「知者の事は、必ず國家百姓の治まる所以の者を計りて之を為し、必ず國家百姓の亂るる所以の者を計りて之を辟く。然らば國家百姓の治まる所以の者を計るに何ぞや。上の政を為すや、下の情を得れば則ち治まり、下の情を得ざれば則ち亂る。何を以て其の然るを知るや。上の政を為すや、下の情を得れば、則ち是れ民の善非に明らかなり。茍くも民の善非に明らかなるが若くんば、則ち善人を得て之を賞し、暴人を得て之を罰するなり。善人賞せられて暴人罰せらるれば、則ち國必ず治まる。上の政を為すや、下の情を得ざれば、則ち是れ民の善非に明らかならず。若し茍くも民の善非に明らかならずんば、則ち是れ善人を得て之を賞せず、暴人を得て之を罰せず。善人賞せられずして暴人罰せられず、政を為すこと此くの若くんば、國衆必ず亂る。故に賞は下の情を得ざれば、而ち察せざる可からざる者なり」と。
-
孫子・九地篇能く士卒の耳目を愚にして、之をして知ること無からしむ。其の事を易え、其の謀を革めて、人をして識ること無からしむ。其の居を易え、其の途を迂にして、人をして慮ることを得ざらしむ。
-
孫子・用間篇相守ること数年、以て一日の勝を争う。而るに爵禄百金を愛しみて、敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり。人の将に非ざるなり、主の佐に非ざるなり、勝の主に非ざるなり。
-
孫子・用間篇先知は、鬼神に取るべからず、事に象るべからず、度に験すべからず、必ず人に取り、敵の情を知る者なり。
-
『墨子』尚同下是の故に古の聖王の天下を治むるや、千里の外に賢人有り、其の鄉里の人、皆な未だ之を均しく聞き見ざるに、聖王、得て之を賞す。千里の外に暴人有り、其の鄉里、未だ之を均しく見ざるに、聖王、得て之を罰す。故に唯だ聖王を以て耳聡く目明らかなりと為す毋からんや。豈に能く一たび視て千里の外を通見せんや、一たび聴きて千里の外を通聞せんや。聖王は往きて視るにあらざるなり、就きて聴くにあらざるなり。然れども天下の冦亂盜賊を為す者をして、天下を周流するも足を重ぬる所無からしむるは、何ぞや。其の尚同を以て政を為すこと善ければなり。