孫子 / 勢篇
凡戰者,以正合,以奇勝。故善出奇者,無窮如天地,不竭如江海。終而復始,日月是也。死而復生,四時是也。
新字:凡戦者,以正合,以奇勝。故善出奇者,無窮如天地,不竭如江海。終而復始,日月是也。死而復生,四時是也。
書き下し
凡そ戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ。故に善く奇を出だす者は、窮まり無きこと天地の如く、竭きざること江海の如し。終わりて復た始まるは、日月是なり。死して復た生ずるは、四時是なり。
現代語訳
戦いは正攻法で相対し、奇策で勝つ。だから奇策を繰り出すのが巧みな者は、天地のように尽きることがなく、大河や海のように涸れることがない。終わってはまた始まるのは日と月であり、死んではまた生まれるのは四季である。
解説
「以正合、以奇勝」は勢篇の核心である。奇策だけで勝とうとするのは博打であり、正攻法を持たない者に奇はない。まず正面で組み合える実力があって、はじめて外した手が効く。基礎体力のない会社が奇抜な施策に飛びつくと空回りするのはこのためである。後半の日月や四季のたとえは、奇の手は無限に湧くという意味だが、同時に、循環するものは基本の型があるから変化できるという含みも持つ。型を持たない変化は、ただの迷走である。
この章句が説くこと
奇正正攻法奇策基礎応用
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