修証義 / 第五章 行持報恩
今の見佛聞法は、佛祖面面の行持より來れる慈恩なり。佛祖若し單傳せずば、奈何にしてか今日に至らん。一句の恩尙ほ報謝すべし。一法の恩尙ほ報謝すべし。况や正法眼藏無上大法の大恩これを報謝せざらんや。
新字:今の見仏聞法は、仏祖面面の行持より来れる慈恩なり。仏祖若し単伝せずば、奈何にしてか今日に至らん。一句の恩尚ほ報謝すべし。一法の恩尚ほ報謝すべし。況や正法眼蔵無上大法の大恩これを報謝せざらんや。
書き下し
今の見仏聞法は、仏祖面面の行持より来れる慈恩なり。仏祖若し単伝せずば、奈何にしてか今日に至らん。一句の恩尚ほ報謝すべし。一法の恩尚ほ報謝すべし。況や正法眼蔵無上大法の大恩これを報謝せざらんや。
現代語訳
いま仏を見て教えを聞くことができるのは、仏祖一人ひとりが行じ続けてこられたことから来る慈しみの恩である。仏祖がもし一人から一人へと伝えてこなかったなら、どうして今日まで至ることができただろうか。一句の恩でさえ報いるべきである。一つの教えの恩でさえ報いるべきである。まして正法眼蔵、この上ない大いなる教えの大恩に、報いないでよいだろうか。
解説
いま自分が学べているのは、途切れずに伝えてきた先人たちの積み重ねのおかげだ、という節である。単伝は、師から弟子へ一対一で確かに伝えることを言う。どこかで一人でも途切れていれば、今日の自分には届かなかった。一句の恩にも報いよという言い方は、大きな恩だけでなく、ささいな一言の教えにも感謝を忘れるなということだ。自分の技能や知識を、誰から受け取ったかを思い出させる節である。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
報恩単伝継承感謝師弟伝統
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