春秋左氏伝 / 荘公八年 斉の襄公の最期
冬十二月,齊侯游于姑棼,遂田于貝丘。見大豕,從者曰:『公子彭生也。』公怒曰:『彭生敢見!』射之,豕人立而啼。公懼,墜于車,傷足喪屨。反,誅屨于徒人費。弗得,鞭之,見血。走出,遇賊於門,劫而束之。費曰:『我奚禦哉!』袒而示之背,信之。費請先入,伏公而出,鬥,死於門中。石之紛如死於階下。遂入,殺孟陽於床。曰:『非君也,不類。』見公之足於戶下,遂弑之,而立無知。初、襄公立,無常。鮑叔牙曰:『君使民慢,亂將作矣。』奉公子小白出奔莒。亂作,管夷吾、召忽奉公子糾來奔。初,公孫無知虐於雍廩。
新字:冬十二月,斉侯游于姑棼,遂田于貝丘。見大豕,従者曰:『公子彭生也。』公怒曰:『彭生敢見!』射之,豕人立而啼。公懼,墜于車,傷足喪屨。反,誅屨于徒人費。弗得,鞭之,見血。走出,遇賊於門,劫而束之。費曰:『我奚禦哉!』袒而示之背,信之。費請先入,伏公而出,鬥,死於門中。石之紛如死於階下。遂入,殺孟陽於床。曰:『非君也,不類。』見公之足於戸下,遂弑之,而立無知。初、襄公立,無常。鮑叔牙曰:『君使民慢,乱将作矣。』奉公子小白出奔莒。乱作,管夷吾、召忽奉公子糾来奔。初,公孫無知虐於雍廩。
書き下し
冬十二月、齊侯姑棼に游び、遂に貝丘に田す。大豕を見る。從者曰く、「公子彭生なり」と。公怒りて曰く、「彭生敢へて見ゆるか」と。之を射る。豕人のごとく立ちて啼く。公懼れ、車より墜ち、足を傷つけ屨を喪ふ。反りて、屨を徒人費に誅む。得ず。之を鞭うち、血を見る。走り出で、賊に門に遇ふ。劫かして之を束ぬ。費曰く、「我奚ぞ禦がんや」と。袒ぎて之に背を示す。之を信ず。費先づ入らんことを請ひ、公を伏せて出で、鬥ひ、門中に死す。石之紛如階下に死す。遂に入り、孟陽を床に殺す。曰く、「君に非ず、類せず」と。公の足を戶下に見、遂に之を弑して、無知を立つ。初め、襄公立ちて、常無し。鮑叔牙曰く、「君民をして慢ならしむ、亂將に作らんとす」と。公子小白を奉じて莒に出奔す。亂作り、管夷吾・召忽公子糾を奉じて來奔す。初め、公孫無知雍廩に虐なり。
現代語訳
冬十二月、斉侯(襄公)は姑棼に遊び、そのまま貝丘で狩りをした。大きな猪が現れた。従者が言った。「公子彭生です」。公は怒って言った。「彭生が姿を見せるとは何事か」。猪を射ると、猪は人のように立ち上がって泣き叫んだ。公は恐れて車から落ち、足を傷め、靴をなくした。帰ってから、雑役の徒人である費に靴を出すよう責めたが、見つからなかった。公は費を鞭で打ち、血が出た。費が走り出ると、門で反乱者たちに出くわした。彼らは費を脅して縛り上げた。費は言った。「私がどうしてあなた方を阻みましょう」。着物を脱いで鞭打たれた背中を見せた。反乱者たちは彼を信じた。費は先に宮中に入らせてほしいと願い、中に入ると公を隠してから外へ出て戦い、門の中で死んだ。石之紛如(せきしふんじょ)も階段の下で戦死した。反乱者たちは中に入り、寝台にいた孟陽(公の身代わりとなった近臣)を殺したが、「君主ではない。似ていない」と言った。戸の下から公の足が見えたので、ついに公を殺し、無知を君主に立てた。これより前、襄公が即位したとき、その政治は気まぐれで一貫しなかった。鮑叔牙(ほうしゅくが)は言った。「君は民を侮らせている。乱がやがて起こるだろう」。そして公子小白(のちの桓公)を奉じて莒に亡命した。乱が起こると、管夷吾(管仲)と召忽は公子糾を奉じて魯に亡命してきた。これより前、公孫無知は雍廩(ようりん)に対して横暴にふるまっていた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『管子』大匡五月、襄公貝丘に田し、豕彘を見る。從者曰く、「公子彭生なり」と。公怒りて曰く、「公子彭生安んぞ敢えて見えんや」と。之を射るに、豕人のごとく立ちて啼く。公懼れ、車下に墜ち、足を傷つけ屨を亡う。反りて、屨を徒人費に誅むるも、得ざるなり、之を鞭うちて血を見る。費走りて出で、賊に門に遇い、脅かされて之を束ぬ。費袒して之に背を示す、賊之を信じ、費をして先ず入らしむ、公を伏せて出で、鬭いて門中に死す。石之紛如、階下に死す。孟陽君に代わりて牀に寢ぬ、賊之を殺して曰く、「君に非ず、類せず」と。公の足を戶下に見て、遂に公を殺して、公孫無知を立つるなり。
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史記 斉太公世家忽曰く、「鄭は小にして斉は大なり、我が敵に非ず」と。遂に之を辞す。三十二年、釐公の同母弟夷仲年死す。其の子を公孫無知と曰ふ。釐公之を愛し、其の秩服奉養をして太子に比せしむ。三十三年、釐公卒し、太子諸児立つ。是れを襄公と為す。襄公の元年、始め太子為りし時、嘗て無知と闘ふ。立つに及び、無知の秩服を絀く。無知怨む。四年、魯の桓公、夫人と斉に如く。斉の襄公は故嘗て魯の夫人と私通す。魯の夫人とは、襄公の女弟なり。釐公の時より嫁して魯の桓公の婦と為る。桓公の来るに及びて襄公復た通ず。魯の桓公之を知り、夫人を怒る。夫人以て斉の襄公に告ぐ。斉の襄公、魯君と飲み、之を酔はしめ、力士彭生をして抱きて魯君の車に上らしめ、因りて魯の桓公を拉殺す。桓公車を下れば則ち死せり。魯人以て譲を為す。而して斉の襄公、彭生を殺して以て魯に謝す。八年、紀を伐つ。紀、遷りて其の邑を去る。十二年、初め、襄公、連称・管至父をして葵丘を戍らしむ。瓜の時にして往き、瓜に及びて代らしめんとす。往きて戍ること一歳、瓜の時を卒ふるも公は為に代を発せず。或ひと為に代を請ふも、公許さず。故に此の二人怒り、公孫無知に因りて乱を作さんと謀る。連称に従妹有りて公宮に在り、寵無し。之をして襄公を間はしめて、曰く「事成らば女を以て無知の夫人と為さん」と。冬十二月、襄公、姑棼に游び、遂に沛丘に猟す。彘を見る。従者曰く「彭生なり」と。公怒りて之を射る。彘、人のごとく立ちて啼く。公懼れ、車より墜ちて足を傷つけ、屨を失ふ。反りて屨を主る者茀を鞭うつこと三百。茀、宮を出づ。而して無知・連称・管至父等、公の傷つけるを聞き、乃ち遂に其の衆を率ゐて宮を襲ふ。屨を主る茀に逢ふ。茀曰く、「且く入りて宮を驚かすこと無かれ。宮を驚かさば未だ入り易からざるなり」と。無知信ぜず。茀、之に創を示す。乃ち之を信ず。宮外に待ち、茀をして先づ入らしむ。茀先づ入り、即ち襄公を戸の間に匿す。
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史記 斉太公世家良久しくして、無知等恐れ、遂に宮に入る。茀反りて宮中及び公の幸臣と無知等を攻むるも、勝たず、皆死す。無知宮に入り、公を求むるも得ず。或ひと人の足を戸の間に見る。発きて視れば、乃ち襄公なり。遂に之を弑して、無知自ら立ちて斉の君と為る。桓公の元年春、斉の君無知、雍林に游ぶ。雍林の人嘗て無知に怨有り。其の往きて游ぶに及び、雍林の人、無知を襲殺し、斉の大夫に告げて曰く、「無知、襄公を弑して自立す。臣謹みて誅を行へり。唯大夫更めて公子の当に立つべき者を立てよ。唯命を是れ聴かん」と。初め、襄公の酔ひて魯の桓公を殺し、其の夫人に通じ、殺誅数々当らず、婦人に淫し、数々大臣を欺く。群弟禍の及ばんことを恐る。故に次弟糾は魯に奔る。其の母は魯の女なり。管仲・召忽之に傅たり。次弟小白は莒に奔る。鮑叔之に傅たり。小白の母は衛の女にして、釐公に寵有り。小白は少きより大夫高傒に善し。雍林の人の無知を殺すに及び、君を立てんことを議す。高・国先づ陰かに小白を莒より召す。魯も無知の死せるを聞き、亦兵を発して公子糾を送り、而して管仲をして別に兵を将ゐて莒の道を遮らしむ。小白の帯鉤を射中つ。小白詳りて死す。管仲、人をして馳せて魯に報ぜしむ。魯の糾を送る者、行くこと益々遅く、六日にして斉に至れば、則ち小白已に入り、高傒之を立つ。是れを桓公と為す。桓公の鉤に中るや、詳りて死して以て管仲を誤り、已にして温車の中に載せて馳せ行き、亦高・国の内応有り、故に先づ入りて立つを得て、兵を発して魯を距ぐ。秋、魯と乾時に戦ふ。魯の兵敗走す。斉の兵、魯の帰道を掩ひ絶つ。斉、魯に書を遺りて曰く、「子糾は兄弟なり、誅するに忍びず。請ふ魯自ら之を殺せ。召忽・管仲は讎なり。請ふ得て心を甘んじて之を醢にせん。然らずんば、将に魯を囲まんとす」と。魯人之を患ひ、遂に子糾を笙瀆に殺す。召忽自殺し、管仲囚と為らんことを請ふ。
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呂氏春秋・貴卒③齊の襄公位に即き、公孫無知を憎みて、其の祿を収む。無知說ばずして、襄公を殺す。公子糾、魯に走り、公子小白、莒に奔る。既にして國、無知を殺し、未だ君有らず。公子糾と公子小白と皆歸り、俱に至り、先を爭いて公家に入らんとす。管仲、弓を扞きて公子小白を射て、鉤に中つ。鮑叔、公子小白を御して、僵れしむ。管子以て小白死せりと為し、公子糾に告げて曰く、「之を安んぜよ。公子小白已に死せり。」鮑叔因りて疾驅して先づ入る。故に公子小白以て君と為るを得たり。鮑叔の智、射に應じて公子小白をして僵れしむるは、其の智、鏃矢の若きなり。
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『春秋左氏伝』襄公二十五年 崔杼、荘公を弑す夏、五月、莒子且于の役の為の故に、莒子齊に朝す。甲戌、諸を北郭に饗す。崔子疾と稱して事を視ず。乙亥、公崔子を問ひ、遂に姜氏に從ふ。姜室に入り、崔子と側戶より出づ。公楹を拊ちて歌ふ。侍人賈舉眾從者を止めて、入りて門を閉づ。甲興る。公臺に登りて請ふ。許さず。盟を請ふ。許さず。廟に自刃せんと請ふ。許さず。皆曰く、「君の臣杼疾病にして、命を聽くこと能はず。公宮に近し。陪臣干掫して淫者有り、二命を知らず」と。公牆を踰ゆ。又之を射て、股に中つ。反りて隊つ。遂に之を弒す。賈舉・州綽・邴師・公孫敖・封具・鐸父・襄伊・僂堙、皆死す。祝佗父高唐に祭る。至りて復命し、弁を說かずして崔氏に死す。申蒯は漁を侍る者なり。退きて其の宰に謂ひて曰く、「爾は帑を以って免れよ。我は將に死せんとす」と。其の宰曰く、「免れば、是れ子の義に反するなり」と。之と皆死す。
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『春秋左氏伝』桓公十八年 魯の桓公、斉に死す十八年春、公將に行くこと有らんとし、遂に姜氏と齊に如かんとす。申繻曰く、「女に家有り、男に室有り、相瀆すこと無し、之を禮有りと謂ふ。此を易へば、必ず敗れん」と。公齊侯に濼に會し、遂に文姜と齊に如く。齊侯焉に通ず。公之を謫む。以て告ぐ。夏四月丙子、公を享す。公子彭生をして公を乘せしむ。公車に薨ず。魯人齊に告げて曰く、「寡君君の威を畏れ、敢へて甯居せず、來りて舊好を修む。禮成りて反らず、咎を歸する所無く、諸侯に惡し。請ふ彭生を以て之を除かん」と。齊人彭生を殺す。秋、齊侯首止に師す。子亹之に會し、高渠彌相たり。七月戊戌、齊人子亹を殺して高渠彌を轘す。祭仲鄭子を陳に逆へて之を立つ。是の行や、祭仲之を知る。故に疾と稱して往かず。人曰く、「祭仲知を以て免る」と。仲曰く、「信なり」と。周公莊王を弑して王子克を立てんと欲す。辛伯王に告げ、遂に王と周公黑肩を殺す。王子克燕に奔る。初め、子儀桓王に寵有り。桓王諸を周公に屬す。辛伯諫めて曰く、「后に並び、嫡に匹し、政を兩にし、國を耦にするは、亂の本なり」と。周公從はず。故に及ぶ。
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