尚書 / 冏命
僕臣正,厥后克正;僕臣諛,厥后自聖
書き下し
僕臣正しければ、厥の后克く正し。僕臣諛えば、厥の后自ら聖とす。
現代語訳
側近が正しければ、その主君もまた正しくあることができる。側近が諂えば、その主君は自分を聖人だと思い込んでしまう。
解説
身近にいる人間の在り方が、その人自身の在り方を映し出し、また作っていく。率直に意見してくれる相手がそばにいれば、人は道を誤りにくいが、褒めるばかりの相手に囲まれれば、いつしか自分を見誤り、思い上がっていく。これは地位の上下に関係なく、誰の周りにも起こりうる循環である。耳の痛いことを言ってくれる人を遠ざけていないか、時々振り返る必要がある。なお、本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。
この章句が説くこと
側近諂い自己認識
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