尚書 / 冏命
僕臣正,厥后克正;僕臣諛,厥后自聖
書き下し
僕臣正しければ、厥の后克く正し。僕臣諛えば、厥の后自ら聖とす。
現代語訳
側近が正しければ、その主君もまた正しくあることができる。側近が諂えば、その主君は自分を聖人だと思い込んでしまう。
解説
身近にいる人間の在り方が、その人自身の在り方を映し出し、また作っていく。率直に意見してくれる相手がそばにいれば、人は道を誤りにくいが、褒めるばかりの相手に囲まれれば、いつしか自分を見誤り、思い上がっていく。これは地位の上下に関係なく、誰の周りにも起こりうる循環である。耳の痛いことを言ってくれる人を遠ざけていないか、時々振り返る必要がある。なお、本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。
この章句が説くこと
側近諂い自己認識
関連する章句
-
『韓非子』老第二十一知の難きは、人を見るに在らず、自ら見るに在り。故に曰く、「自ら見るを之れ明と謂う。」
-
『韓非子』觀行第二十四古の人、目は自ら見るに短なり、故に鏡を以て面を觀、智は自ら知るに短なり、故に道を以て己を正す。
-
論語 雍也篇子曰わく、人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患う。
-
老子 第33章人を知る者は智、自らを知る者は明。人に勝つ者は力有り、自らに勝つ者は強し。足るを知る者は富み、強行する者は志有り。その所を失わざる者は久し。
-
論語 里仁篇子曰わく、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。
-
葉隠・聞書第二少し眼(め)見え候者は、我が長(た)けを知り、非を知りたりと思ふゆゑ、尚々(なおなお)自慢になるものなり。実(じつ)に我が長け、我が非を知る事成り難(がた)きものの由。海音和尚(かいおんおしょう)御話(おはなし)なり。