尚書 / 君陳
惟民生厚,因物有遷
書き下し
惟れ民の生まるるや厚し、物に因りて遷る有り。
現代語訳
人は生まれつき本来篤い性質を持っている。ただ外からの物事によって移り変わることがあるだけだ。
解説
人は生まれながらに薄情なのではなく、本来はどこか篤い心を持っているという見方である。それが変わって見えるのは、置かれた環境や出会う物事によって少しずつ形を変えていくからにすぎない。誰かの態度が冷たく感じられたとき、それをその人の本質と決めつけず、何が今その人をそうさせているのかを考える余地が生まれる。人を見る目に、変わる可能性への信頼を残しておきたい。なお、本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。
この章句が説くこと
性善環境変化
関連する章句
-
孟子・盡心章句下孟子曰く、「君子の陳蔡の閒に戹するは、上下の交わり無ければなり。」
-
孟子・滕文公章句下孟子、戴不勝に謂いて曰く、「子は子の王の善ならんことを欲するか。我明らかに子に告げん。此に楚の大夫有らんに、其の子の齊語せんことを欲すれば、則ち齊人をして諸に傅たらしめんか。楚人をして諸に傅たらしめんか。」曰く、「齊人をして之に傅たらしめん。」曰く、「一齊人之に傅たるも、衆楚人之を咻せば、雖日に撻(むちうつ)ちて其の齊たらんことを求むと雖も、得可からず。引いて之を莊嶽の間に置くこと數年ならば、日に撻ちて其の楚たらんことを求むと雖も、亦た得可からず。子、薛居州を善士と謂い、之をして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王は誰と與にか不善を為さん。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州に非ざれば、王は誰と與にか善を為さん。一薛居州、獨り宋王を如何せん。」 <語釈> ○「咻」、音はキュウ、義はかまびすしくすること。○「莊嶽」、顧炎武云う、莊は是れ街の名、嶽は是れ里の名。
-
孫子・始計篇天とは、陰陽・寒暑・時制なり。
-
呂氏春秋・用眾⑤戎人は戎に生まれ、戎に長じて戎言し、其の之を受くる所を知らず。楚人は楚に生まれ、楚に長じて楚言し、其の之を受くる所を知らず。今、楚人をして戎に長ぜしめ、戎人をして楚に長ぜしめば、則ち楚人は戎言し、戎人は楚言す。是に由り之を觀れば、吾未だ亡國の主の以て賢主と為る可からざるを知らざるなり。其の生長する所の者可ならざるのみ。故に生長する所は察せざる可からざるなり。
-
孫子・火攻篇火発するに上風にして、下風を攻むること無かれ。昼は風久しく、夜は風止む。
-
論語 里仁篇子曰わく、仁に里(お)るを美と為す。択びて仁に処らずんば、焉んぞ知を得ん。