尚書 / 泰誓上
惟天地,萬物父母;惟人,萬物之靈
新字:惟天地,万物父母;惟人,万物之霊
書き下し
惟れ天地は、万物の父母なり。惟れ人は、万物の霊なり。
現代語訳
天地は万物を生み育てる父母である。人間はその万物の中でもとりわけ優れた霊妙な存在である。
解説
天地は万物を生み育てる大きな親であり、人間はその中でもとりわけ思考し感じる力を備えた存在だという人間観を述べている。この認識は、自分自身や他者を単なる道具や数字としてではなく、かけがえのない存在として扱うことの根拠になる。日々の忙しさの中で人を粗末に扱いそうになったとき、立ち返るべき原点を示す句である。なお、本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
天地父母万物の霊人間観
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『大和俗訓』巻之一・為学上一天地は万物の父母、人は万物の霊なりと、尚書に聖人説き給へり。言ふ意は、天地は万物をうみ給ふ根本にして、大父母なり。人は天地の正気をうけて生るる故に、万物にすぐれて其心明かにして、五常の性をうけ、天地の心を以て心として、万物の内にて、其品いとたふとければ、万物の霊とはのたまへるなるべし。霊とは心に明なるたましひあるを云ふ。天地は万物をうみ養ひ給ふ中にも、人をあつくあはれみ給ふ事、鳥獣草木にことなり。ここを以て、万物のうちにて、もはら人を以て天地の子とせり。されば人は天を父とし、地を母として、かぎりなき天地の大恩を受けたり。故に常に天地につかへ奉るを以て人の道とす。天地につかへ奉る道はいかんぞや。
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『五常訓』巻之二・仁之上一尚書に、人は万物の霊といへり。霊とは、たましひとよむ。人は万物にすぐれて明なるたましひあるを云ふ。天地は万物の父母なれば、万物は天地の子なり。されど万物の内、人は陰陽の正しく委しき気をうけて生る。故に鳥けだもの虫魚、凡万物にすぐれて、とりわき天地の大徳を生れつきたり。ここを以て万物の霊といへり。又孝経に、天地の性、人を貴しとすとのたまへり。天地の内、性をうけたる物、人ばかり貴きはなし。如何となれば、天地の徳をたがへずして、そのまま心に生れつきたればなり。されば人は、すなはち天地の万物をうみ給ふ生理を以て、心とせり。此心を名づけて仁と云ふ。およそ人たるものは、いにしへ今、此仁あらずといふ事なし。是人たる者の心也。故に孟子にも、仁は人の心なりといへり。若人此仁を失はば、形は人なりといへど、心は禽獣に近かるべし。然れば、人と生れたるしるしなく、万物の霊とするに足らず、又貴しとすべからず。故に人となる者は、仁を心にたもち、身に行はずんばあるべからず。如何となれば、仁は天地よりうけて、人となれる理なればなり。
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『初学訓』巻之一一およそ人となれる者は、父母これを生めりといへども、其本をたづぬれば、天地の生理をうけて生る。故に、天下の人は皆天地のうみ給ふ子なれば、天地を以て大父母とす。尚書にも天地は万物の父母といへり。父母はまことにわが父母なり。天地は天下万民の大父母なり。其上、うまれて後、父母の養を得て生長し、君恩をうけて身を養ふも、其本をたづぬれば、皆天地の生ずる物を用ひて食とし衣とし家とし、器として、身をやしなふ故に、およそ人となれる者は、はじめ天地の生理をうけて生るるのみならず、うまれて後身を終るまで、天地の養をうけて身をたもてり。然れば、人は万物にすぐれて、天地のきはまりなき大恩をうけたり。ここを以て、人のつとめてなすべきことわざは、わが父母につかへて力をつくすは云ふに及ばず、一生の間、つねに天地につかへ奉りて、其大恩を報じ奉らんことを思ふべし。是なん、人となりて、常に心にかくべきことにぞあるべき。
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『初学訓』巻之一一天地のうめる所の万物、皆是天地の気をうけたりといへども、其中につきて、人ばかり貴きものなし。いかんとなれば、人は、仁義礼智信の五常の性あり。是、天地の心をうけて、本性とするなり。此身、五倫に交り、生れつきたる五常の本性のままに順へば、五倫の道行はる。是まづ、人の貴き大本なり。其上、目に五色をわかち、耳に五音をわきまへ、口に五味を知り、鼻に五臭をかぐ。書をよみ、古を学んでは、天地人の道をさとり、万物の理に通じ、古今天下のことを知る。是人の万物にすぐれて、いと貴き所なり。故に、尚書に、人は万物の霊といへり。霊とは、すぐれて明かなるたましひあるをいふ。人は、全く天地の御心をうけて心とせり。此故に、其心霊なり。
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『五常訓』巻之二・仁之上一人は父母より生ずといへど、其根本をたづぬれば、皆天地の恩によりて生る。むまれて後、一生の間も、亦天地の恵によりて身をたつる事、猶親の気をうけて、むまれて後も、親の養によりて、人となるが如し。是誠にきはまりなき大恩ならずや。此故に、天地を以て大父母とす。天をば父と称し、地をば母と称す。人は天地の子なり。まことに天地の恩のきはまり無き事、海山を以ても譬へがたし。天地の恩のむくいがたき事、子として父母のむくいがたきと同じ。人は万物の霊なれば、などか天地の恩の大なる事を知らで過ぎぬべきや。故に人の道は、唯天地の恩を知りてつかへ奉るにあり。天地につかへ奉る道は、べちにあらず。天地にしたがひて背かざるにあり。
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