師導古典を学びたいすべての人に

荀子 / 王制篇

以類行雜,以一行萬。始則終,終則始,若環之無端也,舍是而天下以衰矣。天地者,生之始也;禮義者,治之始也;君子者,禮義之始也;為之,貫之,積重之,致好之者,君子之始也。故天地生君子,君子理天地;君子者,天地之參也,萬物之摠也,民之父母也。無君子,則天地不理,禮義無統,上無君師,下無父子、夫婦,是之謂至亂。君臣、父子、兄弟、夫婦,始則終,終則始,與天地同理,與萬世同久,夫是之謂大本。故喪祭、朝聘、師旅一也;貴賤、殺生、與奪一也;君君、臣臣、父父、子子、兄兄、弟弟一也;農農、士士、工工、商商一也。

新字:以類行雑,以一行万。始則終,終則始,若環之無端也,舎是而天下以衰矣。天地者,生之始也;礼義者,治之始也;君子者,礼義之始也;為之,貫之,積重之,致好之者,君子之始也。故天地生君子,君子理天地;君子者,天地之参也,万物之摠也,民之父母也。無君子,則天地不理,礼義無統,上無君師,下無父子、夫婦,是之謂至乱。君臣、父子、兄弟、夫婦,始則終,終則始,与天地同理,与万世同久,夫是之謂大本。故喪祭、朝聘、師旅一也;貴賤、殺生、与奪一也;君君、臣臣、父父、子子、兄兄、弟弟一也;農農、士士、工工、商商一也。

書き下し

類を以て雑を行い、一を以て万を行う。始まれば則ち終わり、終われば則ち始まり、環の端無きが若し。是れを舎てて天下以て衰う。天地は生の始めなり。礼義は治の始めなり。君子は礼義の始めなり。之を為し、之を貫き、之を積み重ね、之を致好する者は、君子の始めなり。故に天地君子を生じ、君子天地を理む。君子は天地の参なり、万物の摠なり、民の父母なり。君子無ければ、則ち天地理まらず、礼義統無く、上に君師無く、下に父子・夫婦無し。是れを至乱と謂う。君臣、父子、兄弟、夫婦は、始まれば則ち終わり、終われば則ち始まり、天地と理を同じくし、万世と久しきを同じくす。夫れ是れを之れ大本と謂う。故に喪祭、朝聘、師旅は一なり。貴賤、殺生、与奪は一なり。君は君たり、臣は臣たり、父は父たり、子は子たり、兄は兄たり、弟は弟たるは一なり。農は農たり、士は士たり、工は工たり、商は商たるは一なり。

現代語訳

類推によって雑多なものを処理し、一つの原理によって万事を処理する。始まればやがて終わり、終わればまた始まる。輪に切れ目がないようなものだ。これを捨ててしまえば、天下は衰える。天地は生命の始まりである。礼義は秩序の始まりである。君子は礼義の始まりである。礼義を実践し、貫き、積み重ね、これを心から好むようになること。それが君子の始まりである。だから天地が君子を生み、君子が天地を治める。君子は天地と並ぶ第三のものであり、万物を統べるものであり、民の父母である。君子がいなければ、天地は治まらず、礼義には筋が通らず、上には君主も師もなく、下には父子も夫婦もない。これを極まった乱れという。君臣、父子、兄弟、夫婦の関係は、始まればやがて終わり、終わればまた始まり、天地と同じ理をなし、万世とともに長く続く。これを大本という。だから喪礼も祭礼も、朝廷への参内も外交の訪問も、軍事も、根は一つである。貴賤も、殺すも生かすも、与えるも奪うも、根は一つである。君主が君主らしく、臣下が臣下らしく、父が父らしく、子が子らしく、兄が兄らしく、弟が弟らしくあることも、根は一つである。農民が農民らしく、士が士らしく、職人が職人らしく、商人が商人らしくあることも、根は一つである。

解説

「一を以て万を行う」——一つの原理で無数の事柄をさばく、という宣言から始まる、王制篇の理論的な中心にあたる段です。荀子は秩序の系譜をたどります。天地が生命を生み、礼義が秩序を生み、その礼義を生み出し支えるのが君子だ、と。そして君子は天地と並ぶ第三の存在であり、天地は君子によってはじめて治まると言い切ります。これは人間を自然の付属物としない、荀子独特の力強い人間観です。同時に、君子になる道は特別なものではありません。礼義を実践し、貫き、積み重ね、ついには心から好きになること。この積み重ねだけが君子の出発点だとされます。そして最後は「君は君たり、臣は臣たり」と、それぞれが自分の役割を果たすことに帰着する。壮大な宇宙論が、目の前の持ち場を全うせよという実践に着地するところに、この段の凄みがあります。

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ