尚書 / 堯典
克明俊德,以親九族,九族既睦;平章百姓,百姓昭明;協和萬邦
新字:克明俊徳,以親九族,九族既睦;平章百姓,百姓昭明;協和万邦
書き下し
克(よ)く俊徳を明らかにし、以て九族に親しみ、九族既に睦まじく、百姓を平章し、百姓昭明に、萬邦を協和す。
現代語訳
(堯は)自らの優れた徳を明らかにし、それによって一族と親しみ深く交わり、一族はすでに睦まじくなった。そして人々の善悪を公正に明らかにすると、人々もまた徳を明らかにするようになり、そうして多くの国々が協調し和合するようになった。
解説
自らの徳を磨くことがまず出発点であり、それがやがて身近な人間関係、次いでより広い集団の秩序、最後には社会全体の調和へとつながっていくという、同心円状の道筋を説く一節である。大きな変化を起こそうとするとき、人はつい遠くの制度や他人の行動から手を付けたくなるが、まず足元の自分自身の在り方を整えることが実は最短の道であることをこの句は示している。身近な信頼関係の積み重ねが、やがて周囲全体の空気を変えていく。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
修身斉家協和万邦
関連する章句
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史記 五帝本紀帝堯は、放勛なり。其の仁は天のごとく、其の知は神のごとし。之に就くこと日のごとく、之を望むこと雲のごとし。富みて驕らず、貴くして舒ならず。能く徳を明馴し、以て九族を親しむ。九族既に睦じく、百姓を便章す。百姓昭明にして、萬国を合和す。
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尚書・堯典曰若(ここ)に古(いにしへ)の帝堯を稽(かんが)ふるに、曰く放勲(はうくん)。欽明文思にして安安たり。允(まこと)に恭しく克(よ)く譲り、光四表に被(およ)び、上下に格(いた)る。
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尚書・皐陶謨曰若(ここ)に古(いにしへ)の皐陶(かうえう)を稽(かんが)ふるに、曰く、「允(まこと)に厥(そ)の徳を迪(ふ)めば、謨(はかりごと)明らかに弼(たす)け諧(かな)ふ」と。禹曰く、「俞(しか)り、如何」と。皐陶曰く、「都(ああ)、厥の身を慎み、修めて永きを思ふ。九族を惇(あつ)く敘(つい)で、庶明(しよめい)励み翼(たす)くれば、邇(ちか)きより遠きに可なるは茲(ここ)に在り」と。禹昌言を拝して曰く、「俞り」と。皐陶曰く、「都、
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大学謂う所の国を治むるには必ず先ず其の家を斉(ととの)うとは、其の家を教うるべからずして、能く人を教うる者は、之れ無し。故に君子は家を出でずして教えを国に成す。孝は君に事(つか)うる所以なり。弟(てい)は長に事うる所以なり。慈は衆を使うる所以なり。《康誥》に曰く、「赤子を保(やすん)ずるが如し」と。心誠に之を求むれば、中(あた)らずと雖も遠からず。未だ子を養うを学んで而後嫁ぐ者は有らざるなり。一家仁なれば一国仁に興(おこ)り、一家譲なれば一国譲に興り、一人貪戾(たんれい)なれば一国乱を作(な)す。其の機(き)此(かく)の如し。此れ一言事を僨(やぶ)り、一人国を定むと謂う。堯(ぎょう)・舜(しゅん)天下を率いるに仁を以てして、民之れに従う。桀(けつ)・紂(ちゅう)天下を率いるに暴を以てして、民之れに従う。其の令する所其の好む所に反すれば、民従わず。是の故に君子は己に諸(これ)有りて而後人に諸を求め、己に諸(これ)無くして而後人に諸を非(そし)る。身に蔵する所恕(じょ)ならずして、能く諸を人に喻(さと)す者は、未だ之れ有らざるなり。故に国を治むるは其の家を斉うるに在り。《詩》に云く、「桃の夭夭(ようよう)たる、其の葉蓁蓁(しんしん)たり。之の子于(ここ)に帰(とつ)ぐ、其の家人に宜(よろ)し」と。其の家人に宜しくして、而後以て国人を教うべし。《詩》に云く、「兄に宜しく弟(おとうと)に宜し」と。兄に宜しく弟に宜しくして、而後以て国人を教うべし。《詩》に云く、「其の儀忒(たが)わず、是(ここ)に四国を正す」と。其の父子兄弟の法(のっと)るに足るを為して、而後民之れに法るなり。此れ国を治むるは其の家を斉うるに在りと謂う。
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大学古(いにしえ)の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其の国を治む。其の国を治めんと欲する者は、先ず其の家を斉(ととの)う。其の家を斉えんと欲する者は、先ず其の身を修む。其の身を修めんと欲する者は、先ず其の心を正す。其の心を正さんと欲する者は、先ず其の意(こころざし)を誠にする。其の意を誠にせんと欲する者は、先ず其の知を致す。知を致すは物を格(ただ)すに在り。物格(ただ)して而後(のち)知至る。知至りて而後意誠なり。意誠にして而後心正し。心正しくして而後身修まる。身修まりて而後家斉う。家斉いて而後国治まる。国治まりて而後天下平らかなり。天子より以て庶人に至るまで、壹(いつ)に是れ皆身を修むるを以て本となす。其の本乱れて而も末治まる者は否(あら)ず。其の厚くする所の者薄くして、其の薄くする所の者厚きは、未だ之れ有らざるなり。此れ本を知ると謂う、此れ知の至りと謂うなり。
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礼記・大伝是の故に、人道は親を親しむなり。親を親しむ故に祖を尊び、祖を尊ぶ故に宗を敬し、宗を敬する故に族を収め、族を収むる故に宗廟厳(おごそ)かに、宗廟厳かなる故に社稷を重んじ、社稷を重んずる故に百姓を愛し、百姓を愛する故に刑罰中(あた)り、刑罰中る故に庶民安く、庶民安き故に財用足り、財用足る故に百志成り、百志成る故に礼俗刑(な)り、礼俗刑りて然る後に楽しむ。《詩》に云う、「顕(あき)らかならずや承(う)けざらんや、人に斁(いと)わるること無し」と。此の謂なり。