史記 / 五帝本紀
堯乃ち二女を以て舜に妻はせ以て其の内を観、九男をして与に処らしめ以て其の外を観る。舜歴山に耕すに、歴山の人皆畔を譲る。雷澤に漁すに、雷澤上の人皆居を譲る。河濱に陶するに、河濱の器皆苦窳ならず。一年にして居る所聚を成し、二年にして邑を成し、三年にして都を成す。
新字:堯乃ち二女を以て舜に妻はせ以て其の内を観、九男をして与に処らしめ以て其の外を観る。舜歴山に耕すに、歴山の人皆畔を譲る。雷沢に漁すに、雷沢上の人皆居を譲る。河浜に陶するに、河浜の器皆苦窳ならず。一年にして居る所聚を成し、二年にして邑を成し、三年にして都を成す。
書き下し
堯乃ち二女を以て舜に妻はせ以て其の内を観、九男をして与に処らしめ以て其の外を観る。舜歴山に耕すに、歴山の人皆畔を譲る。雷澤に漁すに、雷澤上の人皆居を譲る。河濱に陶するに、河濱の器皆苦窳ならず。一年にして居る所聚を成し、二年にして邑を成し、三年にして都を成す。
現代語訳
「一人の誠実な人物のあり方が、周囲の人々を感化し、その場全体を良い方向へ変えていく」——舜の徳が、行く先々を変えていった様を描いた一段です。帝堯は、舜を見極めるため、自分の二人の娘を舜に嫁がせて、その家庭内での(私的な)ふるまいを観察し、九人の息子を舜と共に暮らさせて、その社会での(対外的な)ふるまいを観察しました。そして、舜が周囲に及ぼした感化は、目を見張るものでした。舜が歴山で農耕をすると、歴山の人々は、(それまで争っていた)田の境界を、互いに譲り合うようになった(皆讓畔)。舜が雷澤で漁をすると、雷澤のほとりの人々は、(争っていた)漁場を、互いに譲り合うようになった(皆讓居)。舜が河のほとりで焼き物を作ると、河のほとりの器は、(手抜きの)粗悪なものが、一つもなくなった。舜という一人の誠実な人物が、そこにいるだけで、周囲の人々が、争いをやめ、譲り合い、手を抜かなくなったのです。その感化の力は、集落そのものを育てました。「舜が住むところは、一年で(人が集まって)集落となり、二年で町となり、三年で(大きな)都となった(一年成聚、二年成邑、三年成都)」。彼の徳を慕って、人々が続々と集まってきたのです。ここに、感化の力についての教訓があります。第一に、一人の誠実な人物の、そのあり方(生き方・振る舞い)そのものが、命令や強制によらずとも、周囲の人々を感化し、良い方向へ変えていくということ。舜は、人々に「争うな」「譲れ」と説教したのではない。ただ、彼自身が誠実に生きる姿が、人々を自然に感化した。第二に、その感化は、まず身近なところ(田畑、漁場、作業場)の、具体的な行いの変化として現れるということ(讓畔、讓居、器不苦窳)。抽象的な話ではなく、日々の具体的な振る舞いが、良くなっていく。第三に、そうした良い感化を放つ人のもとには、人が自然に集まり、場が育っていくということ(一年成聚、二年成邑、三年成都)。人を集めるのは、権力や利益だけでなく、その人の徳・人柄である。組織や人生で、命令や強制でなく自らのあり方で周囲を感化すること、その感化がまず身近な具体的な振る舞いの変化として現れると知ること、そして徳ある人のもとに人が自然に集まると理解すること——舜の感化は、誠実な生き方が持つ、静かで大きな力を教えます。