尚書 / 說命下
厥德修罔覺。監于先王成憲,其永無愆。惟說式克欽承,旁招俊乂,列于庶位。」王曰:「嗚呼!說!四海之內,咸仰朕德,時乃風。
新字:厥徳修罔覚。監于先王成憲,其永無愆。惟説式克欽承,旁招俊乂,列于庶位。」王曰:「嗚呼!説!四海之内,咸仰朕徳,時乃風。
書き下し
厥の徳修まりて覚ゆる罔し。先王の成憲に監(かんが)みれば、其れ永く愆(あやま)ち無からん。惟れ説式て克く欽み承け、旁く俊乂(しゅんがい)を招きて、庶位に列せん。」王曰く、「嗚呼(ああ)、説よ。四海の内、咸朕が徳を仰ぐは、時れ乃の風なり。
現代語訳
その徳は、自分でも気づかないうちに修まっていく。先王が定めた法を手本として見るならば、長く過ちを犯すことはない。私(説)は謹んで王の意を受け、広く優れた人材を招いて、諸々の官位に並べよう。」王は言った。「ああ、説よ。天下の人々がみな私の徳を仰ぐのは、そなたの教化の力である。
解説
傅説の学問論の結びと、それに応える武丁の言葉である。前の「惟れ斆(をし)ふるは学の半ば」を受け、学び教え合ううちに徳は本人も気づかぬうちに修まると説き、先王の定めた法を手本とすれば過ちはないと述べる。さらに傅説は、自らの務めとして広く賢才を招いて官に並べることを約束する。宰相の最大の仕事は人材の登用であるという考えがここに示される。王は、天下が自分の徳を仰ぐのは傅説の感化によるものだと功を臣に帰す。上に立つ者が成果を補佐役に帰し、補佐役が人材登用で応えるという関係は、組織の理想的な信頼の形として読める。本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。
関連する章句
-
尚書・說命上王憂に宅(を)ること亮陰三祀。既に喪を免るるも、其れ惟れ言はず。群臣咸王を諫めて曰く、「嗚呼(ああ)、之を知るを明哲と曰ひ、明哲は実に則を作す。天子惟れ万邦に君たり、百官式を承く。王言ふを惟れ命と作す、言はずんば、臣下令を稟(う)くる攸罔し。」王庸(もつ)て書を作りて以て誥げて曰く、「台(われ)を以て四方を正さしむ、惟れ徳の類せざるを恐る、茲の故に言はず。恭黙して道を思ふに、帝予に良弼を賚(たま)ふを夢む、其れ予に代はりて言はしめん。」乃ち厥の象を審らかにし、形を以て旁く天下に求めしむ。説傅巌の野に築く、惟れ肖たり。爰に立てて相と作し、王諸を其の左右に置く。之に命じて曰く、「朝夕誨を納れ、以て台の徳を輔けよ。
-
尚書・說命上后克く聖なれば、臣命ぜずとも其れ承く、疇(たれ)か敢て王の休命に祗(つつし)み若(したが)はざらん。」
-
尚書・說命上若し跣(はだし)にして地を視ずんば、厥の足用て傷つかん。惟れ乃の僚と暨に、同心ならざる罔く、以て乃の辟(きみ)を匡せ。先王に率ひ、我が高后を迪み、以て兆民を康んぜしめよ。嗚呼(ああ)、予が時の命を欽み、其れ惟れ終はり有れ。」説王に復して曰く、
-
尚書・說命下昔先正保衡、我が先王を作(おこ)し、乃ち曰く、『予厥の後をして惟れ堯・舜たらしむる克はずんば、其の心愧恥すること、市に撻(むちう)たるるが若し』と。一夫も獲ざれば、則ち曰く、『時れ予の辜なり』と。我が烈祖を佑け、皇天に格(いた)る。爾尚はくは明らかに予を保ち、阿衡をして、専ら美を有商に有たしむる罔かれ。后は賢に非ざれば乂(をさ)まらず、賢は后に非ざれば食まず。其れ爾克く乃の辟を先王に紹(つ)がしめ、永く民を綏んぜよ。」説拝して稽首して曰く、「敢て天子の休命に対揚せん。」
-
尚書・說命中王忱(まこと)にすれば艱からず、允に先王の成徳に協(かな)はん。惟れ説言はずんば、厥の咎有らん。」
-
尚書・說命中惟れ説百官を総ぶるを命ぜられ、乃ち王に進みて曰く、「嗚呼(ああ)、明王天道を奉じ若(したが)ひ、邦を建て都を設け、后王君公を樹て、承くるに大夫師長を以てす。惟れ逸豫の為ならず、惟れ以て民を乱(をさ)めんとなり。惟れ天は聡明なり、惟れ聖は時れ憲(のっと)り、惟れ臣は欽み若ひ、惟れ民は従ひて乂(をさ)まる。惟れ口は羞を起こし、惟れ甲冑は戎を起こす。惟れ衣裳は笥に在り、惟れ干戈は厥の躬を省みる。王惟れ茲を戒め、允に茲に克く明らかなれば、乃ち休(よ)からざる罔し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る