尚書 / 說命上
若跣弗視地,厥足用傷。惟暨乃僚,罔不同心,以匡乃辟。俾率先王,迪我高后,以康兆民。嗚呼!欽予時命,其惟有終。」說復于王曰:
新字:若跣弗視地,厥足用傷。惟暨乃僚,罔不同心,以匡乃辟。俾率先王,迪我高后,以康兆民。嗚呼!欽予時命,其惟有終。」説復于王曰:
書き下し
若し跣(はだし)にして地を視ずんば、厥の足用て傷つかん。惟れ乃の僚と暨に、同心ならざる罔く、以て乃の辟(きみ)を匡せ。先王に率ひ、我が高后を迪み、以て兆民を康んぜしめよ。嗚呼(ああ)、予が時の命を欽み、其れ惟れ終はり有れ。」説王に復して曰く、
現代語訳
裸足で歩いて地面を見なければ、足を傷つけることになる。汝の同僚たちとともに、心を一つにしないことがないようにして、汝の君(私)を正せ。先王に倣い、我が高后(成湯)の道を踏み行わせ、それによって万民を安らかにさせよ。ああ、私のこの命令を謹んで受け、最後までやり遂げよ。」傅説は王に答えて言った。
解説
武丁が傅説に宰相の任を命じる言葉の後半である。この前には「薬瞑眩せずんば厥の疾瘳えず」という名句があり、本章句はそれに続く比喩で、裸足で地面を見ずに歩けば足を傷つけるように、君主も足元を正してくれる臣がなければ過ちを犯すと語る。そのうえで同僚と心を一つにして君を正せと求め、最後に「終はり有れ」と、任務を最後までやり遂げることを命じる。上に立つ者が自ら耳の痛い諫めを求め、部下に結束して自分を正すよう頼む姿は、君臣関係の理想として重んじられた。本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。
関連する章句
-
尚書・說命下昔先正保衡、我が先王を作(おこ)し、乃ち曰く、『予厥の後をして惟れ堯・舜たらしむる克はずんば、其の心愧恥すること、市に撻(むちう)たるるが若し』と。一夫も獲ざれば、則ち曰く、『時れ予の辜なり』と。我が烈祖を佑け、皇天に格(いた)る。爾尚はくは明らかに予を保ち、阿衡をして、専ら美を有商に有たしむる罔かれ。后は賢に非ざれば乂(をさ)まらず、賢は后に非ざれば食まず。其れ爾克く乃の辟を先王に紹(つ)がしめ、永く民を綏んぜよ。」説拝して稽首して曰く、「敢て天子の休命に対揚せん。」
-
尚書・說命下厥の徳修まりて覚ゆる罔し。先王の成憲に監(かんが)みれば、其れ永く愆(あやま)ち無からん。惟れ説式て克く欽み承け、旁く俊乂(しゅんがい)を招きて、庶位に列せん。」王曰く、「嗚呼(ああ)、説よ。四海の内、咸朕が徳を仰ぐは、時れ乃の風なり。
-
尚書・說命上后克く聖なれば、臣命ぜずとも其れ承く、疇(たれ)か敢て王の休命に祗(つつし)み若(したが)はざらん。」
-
尚書・說命上王憂に宅(を)ること亮陰三祀。既に喪を免るるも、其れ惟れ言はず。群臣咸王を諫めて曰く、「嗚呼(ああ)、之を知るを明哲と曰ひ、明哲は実に則を作す。天子惟れ万邦に君たり、百官式を承く。王言ふを惟れ命と作す、言はずんば、臣下令を稟(う)くる攸罔し。」王庸(もつ)て書を作りて以て誥げて曰く、「台(われ)を以て四方を正さしむ、惟れ徳の類せざるを恐る、茲の故に言はず。恭黙して道を思ふに、帝予に良弼を賚(たま)ふを夢む、其れ予に代はりて言はしめん。」乃ち厥の象を審らかにし、形を以て旁く天下に求めしむ。説傅巌の野に築く、惟れ肖たり。爰に立てて相と作し、王諸を其の左右に置く。之に命じて曰く、「朝夕誨を納れ、以て台の徳を輔けよ。
-
尚書・說命中惟れ説百官を総ぶるを命ぜられ、乃ち王に進みて曰く、「嗚呼(ああ)、明王天道を奉じ若(したが)ひ、邦を建て都を設け、后王君公を樹て、承くるに大夫師長を以てす。惟れ逸豫の為ならず、惟れ以て民を乱(をさ)めんとなり。惟れ天は聡明なり、惟れ聖は時れ憲(のっと)り、惟れ臣は欽み若ひ、惟れ民は従ひて乂(をさ)まる。惟れ口は羞を起こし、惟れ甲冑は戎を起こす。惟れ衣裳は笥に在り、惟れ干戈は厥の躬を省みる。王惟れ茲を戒め、允に茲に克く明らかなれば、乃ち休(よ)からざる罔し。
-
尚書・說命中王忱(まこと)にすれば艱からず、允に先王の成徳に協(かな)はん。惟れ説言はずんば、厥の咎有らん。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る