尚書 / 舜典
庶績咸熙。分北三苗。舜生三十徵庸三十,在位五十載,陟方乃死。
新字:庶績咸熙。分北三苗。舜生三十徴庸三十,在位五十載,陟方乃死。
書き下し
庶績咸(みな)熙(ひろ)まる。三苗を分北(ぶんはい)す。舜生まれて三十にして徴庸(ちようよう)せられ、三十にして位に在ること五十載、方に陟(のぼ)りて乃ち死す。
現代語訳
さまざまな事業はみな盛んになった。三苗(さんびょう、南方の部族)を分けて遠ざけた。舜は生まれて三十歳で召し出されて登用され、三十年を経て帝位にあること五十年、南方へ巡行する途中で亡くなった。
解説
舜典の結びで、舜の治世の成果と生涯をまとめている。事業はみな盛んになり、従わない三苗は分けて遠ざけられた。舜は三十歳で登用され、三十年のあいだ堯を補佐して政務を担い、帝位について五十年、南方への巡行の途中で没したという。「陟方乃死」には、巡行の途上で亡くなったとする読みと、天に昇ったことを婉曲に言ったとする読みがあり、舜が蒼梧の野に葬られたという伝承もこの句と結びついて語られてきた。長い年月をかけて試され、補佐役を経て君主となり、最後まで天下を巡って務めを果たし続けた一生は、儒家が描く理想の指導者の姿である。役職を得ることよりも、信頼を積み重ね、終わりまで職責を果たし続けることにこそ、仕事の値打ちがある。
関連する章句
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尚書・舜典曰若(ここ)に古(いにしへ)を稽(かんが)ふるに、帝舜を重華と曰ふ。帝に協(かな)ふ。濬哲(しゆんてつ)文明、温恭允塞(いんそく)にして、玄徳升(のぼ)り聞こえ、乃ち命ずるに位を以てす。慎みて五典を徽(よ)くし、五典克く従ふ。百揆に納(い)れ、百揆時(こ)れ敘(つい)づ。四門に賓(ひん)し、四門穆穆(ぼくぼく)たり。大麓(たいろく)に納れ、烈風雷雨にも迷はず。帝曰く、「格(きた)れ、汝舜。事を詢(と)ひ言を考ふるに、乃(なんぢ)の言の績を可(な)すを厎(いた)すこと三載なり。汝帝位に陟(のぼ)れ」と。舜徳あるものに譲りて、嗣がず。正月上日、終を文祖に受く。璿璣玉衡(せんきぎよくかう)を在(み)て、以て七政を斉(ととの)ふ。肆(つひ)に上帝に類し、六宗に禋(いん)し、山川に望し、群神に徧(あまね)くす。五瑞を輯(あつ)む。既に月乃ち日、四岳群牧に覲(まみ)え、瑞を群后に班(わか)つ。歳の二月、東のかた巡守し、岱宗(たいそう)に至りて柴(さい)す。山川に望秩し、肆に東后に覲ゆ。時月を協(あは)せ日を正し、律度量衡を同じくす。五礼・五玉・三帛・二生・一死を修め、贄(し)とす。五器の如くし、卒(を)はれば乃ち復す。五月南のかた巡守し、南岳に至る、岱の礼の如し。八月西のかた巡守し、西岳に至る、初めの如し。十有一月朔のかた巡守し、北岳に至る、西の礼の如し。帰りて藝祖に格(いた)り、特を用ふ。五載に一たび巡守し、群后四たび朝す。
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史記 五帝本紀此の二十二人咸厥の功を成す。皋陶大理と為りて、平らかにして、民各其の実を得るに伏す。伯夷礼を主りて、上下咸譲る。垂工師を主りて、百工功を致す。益虞を主りて、山沢辟く。棄稷を主りて、百穀時に茂る。契司徒を主りて、百姓親和す。龍賓客を主りて、遠人至る。十二牧行ひて九州敢へて辟違する莫し。唯だ禹の功を大なりと為す。九山を披き、九沢を通じ、九河を決し、九州を定め、各其の職を以て来貢し、厥の宜しきを失はず。方五千里、荒服に至る。南は交阯・北発を撫し、西は戎・析枝・渠廋・氐・羌、北は山戎・発・息慎、東は長・鳥夷、四海の内咸帝舜の功を戴く。是に於て禹乃ち九招の楽を興し、異物を致し、鳳皇来翔す。天下の明徳は皆虞帝より始まる。舜年二十にして孝を以て聞こえ、年三十にして堯之を挙げ、年五十にして天子の事を摂行し、年五十八にして堯崩じ、年六十一にして堯に代はりて帝位を践む。帝位を践むこと三十九年、南に巡狩し、蒼梧の野に崩ず。江南の九疑に葬る、是を零陵と為す。舜の帝位を践むや、天子の旗を載せ、往きて父瞽叟に朝し、夔夔として唯れ謹み、子の道の如くす。弟象を封じて諸侯と為す。舜の子商均も亦不肖なり。舜乃ち豫め禹を天に薦む。十七年にして崩ず。三年の喪畢はり、禹も亦乃ち舜の子に譲ること、舜の堯の子に譲るが如し。諸侯之に帰し、然る後に禹天子の位を践む。堯の子丹朱、舜の子商均、皆疆土有りて、以て先祀を奉ず。其の服を服し、礼楽之の如くす。客を以て天子に見え、天子臣とせず、敢へて専らにせざるを示すなり。黄帝より舜・禹に至るまで、皆姓を同じくして其の国号を異にし、以て明徳を章らかにす。故に黄帝を有熊と為し、帝顓頊を高陽と為し、帝嚳を高辛と為し、帝堯を陶唐と為し、帝舜を有虞と為す。帝禹は夏后と為りて氏を別にし、姓は姒氏なり。
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尚書・舜典共工を幽洲に流し、驩兜(くわんとう)を崇山に放ち、三苗を三危に竄(のが)し、鯀(こん)を羽山に殛(ころ)す。四罪して天下咸(みな)服す。二十有八載、帝乃ち殂落(そらく)す。百姓考妣(かうひ)を喪(うしな)ふが如く、三載、四海八音を遏密(あつみつ)す。月正元日、舜文祖に格(いた)り、
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史記 五帝本紀正月上日、舜終を文祖に受く。文祖は、堯の大祖なり。是に於て帝堯老い、舜に命じて天子の政を摂行せしめ、以て天命を観る。舜乃ち璿璣玉衡を在て、以て七政を斉ふ。遂に上帝に類し、六宗に禋し、山川に望し、羣神に辯す。五瑞を揖め、吉月日を択び、四嶽・諸牧に見え、瑞を班つ。歳の二月、東に巡狩し、岱宗に至り、祡し、山川に望秩す。遂に東方の君長に見え、時月を合はせ日を正し、律度量衡を同じくし、五礼・五玉・三帛・二生・一死を脩めて摯と為し、五器の如きは、卒へて乃ち復す。五月、南に巡狩し、八月、西に巡狩し、十一月、北に巡狩す。皆初めの如し。帰りて、祖禰の廟に至り、特牛の礼を用ゐる。五歳に一たび巡狩し、羣后は四たび朝す。徧く告ぐるに言を以てし、明らかに試みるに功を以てし、車服は庸を以てす。肇めて十有二州とし、川を決す。象るに典刑を以てし、流して五刑を宥し、鞭を官刑と作し、扑を教刑と作し、金を贖刑と作す。眚烖の過は赦し、怙終の賊は刑す。欽しめや、欽しめや、惟れ刑を之れ静かにせよ。讙兜共工を進言し、堯曰く不可なりと。而して之を工師に試みるに、共工果たして淫辟なり。四嶽鯀を挙げて鴻水を治めしめんとし、堯以て不可と為すも、嶽彊ひて之を試みんことを請ふ。之を試みて功無く、故に百姓便ならず。三苗江淮・荊州に在りて数乱を為す。是に於て舜帰りて帝に言ひ、共工を幽陵に流して、以て北狄を変ぜしめ、驩兜を崇山に放ちて、以て南蛮を変ぜしめ、三苗を三危に遷して、以て西戎を変ぜしめ、鯀を羽山に殛して、以て東夷を変ぜしめんことを請ふ。四辠して天下咸服す。堯立ちて七十年にして舜を得、二十年にして老い、舜をして天子の政を摂行せしめ、之を天に薦む。堯位を辟くること凡そ二十八年にして崩ず。百姓悲哀し、父母を喪ふが如し。三年、四方楽を挙ぐる莫く、以て堯を思ふ。
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史記 五帝本紀堯之を善しとし、乃ち舜をして五典を慎和せしむ、五典能く従ふ。乃ち遍く百官に入れ、百官時に序づ。四門に賓せしむ、四門穆穆たり。堯舜をして山林川澤に入らしむ、暴風雷雨するも、舜行きて迷はず。堯以て聖と為し、舜を召して曰く、「女の事を謀ること至りて言の績す可きこと、三年なり。女帝位に登れ」と。舜徳に譲りて懌ばず。
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孔子家語・五帝德宰我曰わく、「請う帝舜を問う。」孔子曰わく、「喬牛の孫、瞽瞍の子にして、有虞と曰う。舜孝友四方に聞こえ、陶漁して親に事う。寛裕にして温良、敦敏にして時を知る。天を畏れて民を愛し、遠きを恤みて近きに親しむ。大命を承受し、二女に依り、叡明智通、天下の帝と為る。二十二臣に命じて堯の旧職を率いしめ、己を躬めるのみ。天平らかに地成り、四海を巡狩し、五載にして一たび始む。三十年にして位に在り、帝を嗣ぐこと五十載。方嶽に陟り、蒼梧の野に死して之を葬る。」
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