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商君書 / 境内

能攻城圍邑斬首八千已上、則盈論、野戰斬首二千、則盈論。吏自操及校以上大將、盡賞行間之吏也。故爵公士也、就為上造也。故爵上造、就為簪褭。故爵簪褭、就為不更。故爵不更、就為大夫。爵吏而為縣尉、則賜虜、六加五千六百。爵大夫而為國尉、就為官大夫。故爵官大夫、就為公大夫。故爵公大夫、就為公乘。故爵公乘、就為五大夫、則稅邑三百家。故爵五大夫、就為庶長、故爵庶長、就為左更、故爵三更也、就為大良造──皆有賜邑三百家、有賜稅三百家。

新字:能攻城囲邑斬首八千已上、則盈論、野戦斬首二千、則盈論。吏自操及校以上大将、尽賞行間之吏也。故爵公士也、就為上造也。故爵上造、就為簪褭。故爵簪褭、就為不更。故爵不更、就為大夫。爵吏而為県尉、則賜虜、六加五千六百。爵大夫而為国尉、就為官大夫。故爵官大夫、就為公大夫。故爵公大夫、就為公乗。故爵公乗、就為五大夫、則税邑三百家。故爵五大夫、就為庶長、故爵庶長、就為左更、故爵三更也、就為大良造──皆有賜邑三百家、有賜税三百家。

書き下し

能く城を攻め邑を圍みて斬首八千已上ならば、則ち盈論たり。野戰に斬首二千ならば、則ち盈論たり。吏は自ら操るより校以上・大將に至るまで、盡く行間の吏を賞するなり。故爵の公士は、就きて上造と為る。故爵の上造は、就きて簪褭と為る。故爵の簪褭は、就きて不更と為る。故爵の不更は、就きて大夫と為る。爵吏にして縣尉と為らば、則ち虜を賜わり、六たび五千六百を加う。爵大夫にして國尉と為らば、就きて官大夫と為る。故爵の官大夫は、就きて公大夫と為る。故爵の公大夫は、就きて公乘と為る。故爵の公乘は、就きて五大夫と為り、則ち邑三百家に稅す。故爵の五大夫は、就きて庶長と為る。故爵の庶長は、就きて左更と為る。故爵の三更は、就きて大良造と為る——皆な賜邑三百家有り、賜稅三百家有り。

現代語訳

城を攻め町を囲んで首を八千以上取れば、規定を満たしたとされる。野戦で首を二千取れば、規定を満たしたとされる。役人は自ら現場に当たる者から校尉以上・大将に至るまで、ことごとく隊列の役人に賞を与える。もとの爵位が公士の者は、上造に進む。上造は簪褭に進む。簪褭は不更に進む。不更は大夫に進む。爵位を持つ役人が県尉になれば、捕虜を賜り、六度にわたって五千六百を加えられる。大夫の爵位で国尉になれば、官大夫に進む。官大夫は公大夫に進む。公大夫は公乗に進む。公乗は五大夫に進み、三百家から税を取る権利を得る。五大夫は庶長に進む。庶長は左更に進む。三更は大良造に進む——いずれも三百家の領地を賜り、三百家からの税を賜る。

解説

秦の二十等爵制の実際を伝える、歴史史料としても第一級の一段である。公士・上造・簪褭・不更・大夫……と、上がっていく階段がすべて名前つきで並んでいる。ここに商鞅の制度設計の核心がある。褒賞を一回限りの金品ではなく、名前のついた段階として設計したことだ。次の段が見えているから、人は今回の努力を続けられる。等級に名前があり、それぞれに具体的な待遇が結びついている。社内の等級制度を作るときの原型が、二千三百年前にすでに完成した形で存在している。

この章句が説くこと

公士・上造・簪褭・不更・大夫二十等爵名前のついた段階次が見える階段

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