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商君書 / 画策

所謂明者、無所不見、則群臣不敢為姦、百姓不敢為非。是以人主處匡床之上、聽絲竹之聲、而天下治。所謂明者、使眾不得不為。所謂彊者、天下勝、天下勝、是故合力。是以勇彊不敢為暴、聖知不敢為軸。而慮周兼天下之眾、莫敢不為其所好、而避其所惡。

新字:所謂明者、無所不見、則群臣不敢為姦、百姓不敢為非。是以人主処匡床之上、聴糸竹之声、而天下治。所謂明者、使眾不得不為。所謂彊者、天下勝、天下勝、是故合力。是以勇彊不敢為暴、聖知不敢為軸。而慮周兼天下之眾、莫敢不為其所好、而避其所悪。

書き下し

所謂る明なる者は、見ざる所無し、則ち群臣は敢えて姦を為さず、百姓は敢えて非を為さず。是を以て人主は匡床の上に處り、絲竹の聲を聽きて、天下は治まる。所謂る明なる者は、眾をして為さざるを得ざらしむるなり。所謂る彊なる者は、天下に勝つなり。天下に勝つ、是の故に力を合わす。是を以て勇彊は敢えて暴を為さず、聖知は敢えて軸を為さず。而して慮は周く天下の眾を兼ね、敢えてその好む所を為さずして、その惡む所を避くる莫し。

現代語訳

いわゆる明とは、見えないところがないということである。そうすれば臣下はあえて不正を働かず、民はあえて悪いことをしない。だから君主は寝台の上に座り、音楽を聴いていても天下は治まる。いわゆる明とは、人々にやらざるをえないようにさせることである。いわゆる強とは、天下に勝つことである。天下に勝てば、だからこそ力が合わさる。だから勇猛な者もあえて乱暴をせず、聖なる知恵を持つ者もあえてごまかしをしない。そして配慮は天下の人々に行き渡り、誰もが自分の好むことをあえて避けず、嫌なことを避けずにいられなくなる。

解説

「明とは、眾をして為さざるを得ざらしむるなり」——明晰さとは、人々にやらざるをえなくさせることだ、という定義が独特である。ふつう明晰さは、見通しの良さや判断の鋭さを指す。だがここでは、見えているだけでは足りず、その結果として行動が変わってはじめて明晰だという。データを見ているのに何も変わらない状態は、この定義では明晰ではない。可視化は目的ではなく、行動が変わって初めて意味を持つ。ダッシュボードを整えたきり誰の動きも変わらない組織は、この一行を読むとよい。

この章句が説くこと

明とは衆をして為さざるを得ざらしむ見ざる所無し可視化と行動匡床の上

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