商君書 / 画策
由此觀之、神農非高於黃帝也、然其名尊者、以適於時也。故以戰去戰、雖戰可也、以殺去殺、雖殺可也、以刑去刑、雖重刑可也。
新字:由此観之、神農非高於黄帝也、然其名尊者、以適於時也。故以戦去戦、雖戦可也、以殺去殺、雖殺可也、以刑去刑、雖重刑可也。
書き下し
これに由りてこれを觀れば、神農は黃帝より高きに非ざるなり。然れどもその名の尊きは、時に適えばなり。故に戰を以て戰を去らば、戰と雖も可なり。殺を以て殺を去らば、殺すと雖も可なり。刑を以て刑を去らば、刑を重くすと雖も可なり。
現代語訳
これによって見れば、神農が黄帝より優れていたわけではない。それでもその名が尊ばれるのは、時代に適っていたからである。だから、戦いによって戦いをなくすなら、戦うことも許される。殺すことによって殺すことをなくすなら、殺すことも許される。刑罰によって刑罰をなくすなら、刑を重くすることも許される。
解説
「戦を以て戦を去る」「殺を以て殺を去る」「刑を以て刑を去る」——三つ並んだこの定式は、商君書のなかで最も有名であり、最も危険でもある。目的が手段を正当化する論理そのものだからだ。実際この一行は、後世さまざまな暴力の弁明に使われた。ただし論理の形式だけを取り出せば、あらゆる強制的な措置が背負うべき条件を述べてもいる——それによって、その措置自体が要らなくなるのか。要らなくならないなら、それはただの暴力である。厳しい手を打つとき、この問いに答えられるかどうかが分かれ目になる。
この章句が説くこと
戦を以て戦を去る殺を以て殺を去る刑を以て刑を去る目的が手段を正当化する論理
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