商君書 / 賞刑
晉文公欲明刑以親百姓、於是合諸侯大夫於侍千宮。顛頡後至、請其罪。君曰:「用事焉、」吏遂斷顛頡之脊以殉。晉國之士、稽焉皆懼、曰:「顛頡之有寵也、斷以殉、況於我乎?」舉兵伐曹及五鹿、反鄭之埤、東衛之畝、勝荊人於城濮。三軍之士、止之如斬足、行之如流水。三軍之士、無敢犯禁者。故一假道重輕於顛頡之脊、而晉國治。
新字:晋文公欲明刑以親百姓、於是合諸侯大夫於侍千宮。顛頡後至、請其罪。君曰:「用事焉、」吏遂断顛頡之脊以殉。晋国之士、稽焉皆懼、曰:「顛頡之有寵也、断以殉、況於我乎?」舉兵伐曹及五鹿、反鄭之埤、東衛之畝、勝荊人於城濮。三軍之士、止之如斬足、行之如流水。三軍之士、無敢犯禁者。故一仮道重軽於顛頡之脊、而晋国治。
書き下し
晉文公、刑を明らかにして以て百姓に親しまんと欲す。是に於て諸侯の大夫を侍千宮に合す。顛頡、後れて至る、その罪を請う。君曰く、「事に用いよ」と。吏遂に顛頡の脊を斷ちて以て殉す。晉國の士、稽えて皆な懼れて曰く、「顛頡の寵有るや、斷ちて以て殉す。況んや我に於てをや」と。兵を舉げて曹及び五鹿を伐ち、鄭の埤を反し、衛の畝を東にし、荊人に城濮に勝つ。三軍の士、これを止むるは足を斬るが如く、これを行かしむるは流水の如し。三軍の士、敢えて禁を犯す者無し。故に一たび道を假り輕きを顛頡の脊に重くして、晉國は治まる。
現代語訳
晋の文公は、刑を明らかにして民に親しまれようとした。そこで諸侯の大夫を侍千宮に集めた。顛頡が遅れて到着したので、その罪の裁定を求めた。君は「規定どおりにせよ」と言った。役人はそのまま顛頡の背を断ち切って、見せしめとした。晋国の士たちはこれを考えてみな恐れ、こう言った。「顛頡はあれほど寵愛されていたのに、斬られて見せしめにされた。まして我々はどうか」と。そして兵を挙げて曹と五鹿を討ち、鄭の城壁を崩し、衛の畝を東向きに改めさせ、楚の人に城濮で勝った。三軍の士は、止めれば足を斬られたように動かず、行かせれば流れる水のように進んだ。三軍の士で、あえて禁令を犯す者はいなかった。こうして一度、軽い罪を顛頡の背に重く科したことで、晋国は治まったのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 張釈之馮唐列伝臣愚かにして、以為へらく陛下の法太だ明らかにして、賞太だ軽く、罰太だ重しと。且つ雲中の守魏尚は、上功の首虜六級を差(たが)へしに坐して、陛下之を吏に下し、其の爵を削り、之を罰作す。此れに由りて之を言へば、陛下廉頗・李牧を得と雖も、用ふること能はざるなり。臣誠に愚かにして、忌諱に触る。死罪死罪」と。文帝説(よろこ)ぶ。是の日馮唐をして節を持して魏尚を赦さしめ、復た以て雲中の守と為し、而して唐を拝して車騎都尉と為し、中尉及び郡国の車士を主らしむ。七年、景帝立ち、唐を以て楚の相と為し、免ぜらる。武帝立ち、賢良を求め、馮唐を挙ぐ。唐時に年九十余、復た官を為すこと能はず。乃ち唐の子馮遂を以て郎と為す。遂は字は王孫、亦奇士にして、余と善し。太史公曰く、張季の長者を言ふ、法を守りて意に阿(おもね)らず。馮公の将率を論ずる、味有るかな、味有るかな。語に曰く「其の人を知らずんば、其の友を視よ」と。二君の称誦する所は、廊廟に著すべし。書に曰く「偏せず党せず、王道蕩蕩たり。党せず偏せず、王道便便たり」と。張季・馮公之に近し。
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『韓非子』心度第五十四刑勝てば民静かに、賞繁ければ姦生ず。故に民を治むる者は、刑勝つは、治の首なり、賞の繁きは、亂の本なり。
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