商君書 / 徠民
齊人有東郭敞者、猶多願、願有萬金。其徒請賙焉、不與、曰:「吾將以求封也。」其徒怒而去之宋、曰:「此無益於愛也、故不如與之利也。」今晉有民、而秦愛其復、此愛非其有以失其有也、豈異東郭敞之愛非其有而失其徒乎?且古有堯舜、當時而見稱、中世有湯武、在位而民服。此四王者、萬世之所稱以為聖王者也。然其道猶不能取用於後。今復之三世、而三晉之民可盡也、是非王賢力今時、而使後世為王用乎?然則非聖別說、而聽聖人難也。
新字:斉人有東郭敞者、猶多願、願有万金。其徒請賙焉、不与、曰:「吾将以求封也。」其徒怒而去之宋、曰:「此無益於愛也、故不如与之利也。」今晉有民、而秦愛其復、此愛非其有以失其有也、豈異東郭敞之愛非其有而失其徒乎?且古有堯舜、当時而見称、中世有湯武、在位而民服。此四王者、万世之所称以為聖王者也。然其道猶不能取用於後。今復之三世、而三晉之民可尽也、是非王賢力今時、而使後世為王用乎?然則非聖別説、而聴聖人難也。
書き下し
齊人に東郭敞なる者有り、猶お願い多く、萬金有らんことを願う。その徒、賙わんことを請うも、與えずして曰く、「吾は將に以て封を求めんとす」と。その徒怒りてこれを去りて宋に之き、曰く、「これ愛に益無し、故にこれに利を與うるに如かず」と。今、晉に民有りて、秦はその復を愛しむ。これ、その有に非ざるを愛しみて以てその有を失うなり。豈に東郭敞の、その有に非ざるを愛しみてその徒を失うに異ならんや。且つ古に堯舜有り、時に當たりて稱せられ、中世に湯武有り、位に在りて民は服す。この四王なる者は、萬世の稱して以て聖王と為す所なり。然れどもその道は猶お後に用を取ること能わず。今これを復すること三世にして、三晉の民は盡くすべきなり。これ王の賢力、今の時にして、後世をして王の用と為さしむるに非ずや。然らば則ち聖を非とし說を別つに非ずして、聖人を聽くこと難きなり。
現代語訳
斉の人に東郭敞という者がいた。願いごとが多く、万金を持ちたいと願っていた。その門人が援助を求めたが、与えずに言った。「私はこれで領地を求めるつもりだ」と。門人は怒って彼のもとを去り宋へ行き、言った。「これでは慕う気持ちが起きない。それなら利益を与えてくれたほうがましだ」と。いま晋には民がおり、秦は免税を惜しんでいる。これは、自分のものでないものを惜しんで、自分のものを失うことである。どうして東郭敞が、自分のものでないものを惜しんで門人を失ったのと違うだろうか。それに古には堯舜があり、その時代に称えられ、中古には湯王・武王があり、位にあって民は服した。この四人の王は、万世にわたって聖王と称えられている。それでもそのやり方は、後の世に用いることができない。いま三代にわたって免税すれば、三晋の民は取り尽くせる。これこそ王の賢明さと力を今この時に発揮して、後の世を王の用に立たせることではないか。そうであれば、聖人を否定して別の説を立てているのではなく、聖人の言うことを聞き入れるのが難しいだけなのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『商君書』徠民臣竊かに王吏の明を以て過見と為す。これその弱き所以なり。三晉の民を奪わざるは、爵を愛しみて復を重んずればなり。その說に曰く、「三晉の弱き所以の者は、その民は樂を務めて復爵の輕ければなり。秦の強き所以の者は、その民は苦を務めて復爵の重ければなり。今、爵を多くして久しく復せば、これ秦の彊き所以を釋てて、三晉の弱き所以を為すなり」と。これ王吏の爵を重んじ復を愛しむの說なり。而して臣竊かに以て然らずと為す。
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『商君書』開塞故に愛を以て天下に王たる者は刑を并せ、力を以て諸侯を征する者は德を退く。聖人は古に法らず、今に修わず。古に法れば則ち時に後れ、今に修えば則ち勢に塞がる。周は商に法らず、夏は虞に法らず。三代は勢を異にして、皆な以て王たるべし。故に王を興すに道有りて、これを持するに理を異にす。武王は逆らいて取りて順を貴び、天下を爭いて讓を上ぶ。その取るに力を以てし、持するに義を以てす。今、世の彊國は兼并を事とし、弱國は力めて守るを務む。上は虞夏の時に及ばずして、下は湯武の道を修めず。湯武の道塞がる、故に萬乘は戰わざる莫く、千乘は守らざる莫し。この道の塞がること久し、而して世主のこれを能く開く者莫し。故に三代は四とならず。明主に非ざれば能く聽く有る莫し、今日、これを啟くに效を以てせんことを願う。
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『商君書』徠民曩者、臣言いて曰く、「意うに民の情、その欲する所の者は田宅なり。晉のこれ有る無きは信なり、秦の餘り有るは必なり。此くの若くして民の西せざるは、秦の士は戚みて民は苦しめばなり」と。今、その田宅を利し、これを復すること三世。これ必ずその欲する所を與えて、その惡む所を行わしめざるなり。然らば則ち山東の民、西せざる者無からん。且つ直だ言うの謂いなり。然らずんば、夫れ曠虛を實たし、天寶を出だし、而して百萬、本を事とせば、その益する所は多し。豈に徒だその攻むる所以を失わざるのみならんや。
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呂氏春秋・贊能①賢者は人に善くするに人を以てし、中人は事を以てし、不肖者は財を以てす。十の良馬を得るは、一の伯樂を得るに若かず。十の良劍を得るは、一の歐冶を得るに若かず。地千里を得るは、一の聖人を得るに若かず。舜、皋陶を得て、舜、之を受く。湯、伊尹を得て夏民を有ち、文王、呂望を得て殷商を服す。夫れ聖人を得れば、豈に里數有らんや。
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『商君書』徠民夫れ民を苦しめて兵を彊くする所以の者は、將に以て敵を攻めて欲する所を成さんとすればなり。兵法に曰く、「敵弱くして兵彊し」と。これ吾が攻むる所以を失わずして、敵はその守る所を失うを言うなり。今、三晉、秦に勝たざること四世なり。魏襄より以來、野戰に勝たず、守城は必ず拔かる。小大の戰い、三晉の秦に亡う所の者は、勝げて數うべからざるなり。此くの若くして服せざるは、秦は能くその地を取るも、而してその民を奪う能わざればなり。
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荀子・非相篇夫れ妄人(もうじん)曰く、「古今は情を異にし、其の治乱を為す所以の道は異なる」と。而して衆人焉(これ)に惑う。彼の衆人なる者は、愚にして説無く、陋(ろう)にして度(ど)無き者なり。其の見る所すら、猶お欺くべきなり。而るを況んや千世の伝えに於いてをや。妄人なる者は、門庭の間すら、猶お誣(し)い欺くべし。而るを況んや千世の上に於いてをや。聖人は何を以て欺くべからざるや。曰く、聖人なる者は、己を以て度(はか)る者なり。故に人を以て人を度り、情を以て情を度り、類を以て類を度り、説を以て功を度り、道を以て尽くを観る。古今は一なり。類は悖(もと)らざれば、久しと雖も理を同じくす。故に邪曲に郷(む)かいて迷わず、雑物を観て惑わざるは、此れを以て之を度ればなり。五帝の外に伝人無きは、賢人無きに非ず、久しきが故なり。五帝の中に伝政無きは、善政無きに非ず、久しきが故なり。禹・湯に伝政有るも周の察(つまび)らかなるに若(し)かざるは、善政無きに非ず、久しきが故なり。伝うる者、久しければ則ち論は略、近ければ則ち論は詳らかなり。略なれば則ち大を挙げ、詳らかなれば則ち小を挙ぐ。愚者は其の略を聞きて其の詳らかなるを知らず、其の詳らかなるを聞きて其の大を知らざるなり。是を以て文は久しくして滅し、節族は久しくして絶ゆ。