荀子 / 非相篇
夫妄人曰:「古今異情,其所以治亂者異道。」而眾人惑焉。彼眾人者,愚而無說,陋而無度者也。其所見焉,猶可欺也,而況於千世之傳也?妄人者,門庭之間,猶可誣欺也,而況於千世之上乎?聖人何以不可欺?曰:聖人者,以己度者也。故以人度人,以情度情,以類度類,以說度功,以道觀盡,古今一也。類不悖,雖久同理,故鄉乎邪曲而不迷,觀乎雜物而不惑,以此度之。五帝之外無傳人,非無賢人也,久故也。五帝之中無傳政,非無善政也,久故也。禹湯有傳政而不若周之察也,非無善政也,久故也。傳者久則論略,近則論詳,略則舉大,詳則舉小。愚者聞其略而不知其詳,聞其詳而不知其大也。是以文久而滅,節族久而絕。
新字:夫妄人曰:「古今異情,其所以治乱者異道。」而眾人惑焉。彼眾人者,愚而無説,陋而無度者也。其所見焉,猶可欺也,而況於千世之伝也?妄人者,門庭之間,猶可誣欺也,而況於千世之上乎?聖人何以不可欺?曰:聖人者,以己度者也。故以人度人,以情度情,以類度類,以説度功,以道観尽,古今一也。類不悖,雖久同理,故鄉乎邪曲而不迷,観乎雑物而不惑,以此度之。五帝之外無伝人,非無賢人也,久故也。五帝之中無伝政,非無善政也,久故也。禹湯有伝政而不若周之察也,非無善政也,久故也。伝者久則論略,近則論詳,略則舉大,詳則舉小。愚者聞其略而不知其詳,聞其詳而不知其大也。是以文久而滅,節族久而絶。
書き下し
夫れ妄人(もうじん)曰く、「古今は情を異にし、其の治乱を為す所以の道は異なる」と。而して衆人焉(これ)に惑う。彼の衆人なる者は、愚にして説無く、陋(ろう)にして度(ど)無き者なり。其の見る所すら、猶お欺くべきなり。而るを況んや千世の伝えに於いてをや。妄人なる者は、門庭の間すら、猶お誣(し)い欺くべし。而るを況んや千世の上に於いてをや。聖人は何を以て欺くべからざるや。曰く、聖人なる者は、己を以て度(はか)る者なり。故に人を以て人を度り、情を以て情を度り、類を以て類を度り、説を以て功を度り、道を以て尽くを観る。古今は一なり。類は悖(もと)らざれば、久しと雖も理を同じくす。故に邪曲に郷(む)かいて迷わず、雑物を観て惑わざるは、此れを以て之を度ればなり。五帝の外に伝人無きは、賢人無きに非ず、久しきが故なり。五帝の中に伝政無きは、善政無きに非ず、久しきが故なり。禹・湯に伝政有るも周の察(つまび)らかなるに若(し)かざるは、善政無きに非ず、久しきが故なり。伝うる者、久しければ則ち論は略、近ければ則ち論は詳らかなり。略なれば則ち大を挙げ、詳らかなれば則ち小を挙ぐ。愚者は其の略を聞きて其の詳らかなるを知らず、其の詳らかなるを聞きて其の大を知らざるなり。是を以て文は久しくして滅し、節族は久しくして絶ゆ。
現代語訳
でたらめを言う者はこう言う。「昔と今とでは実情が違う。だから治まるか乱れるかの道理も違うのだ」と。そして多くの人がこれに惑わされる。その多くの人とは、愚かで筋道立った考えを持たず、視野が狭くて物差しを持たない者たちである。彼らは自分の目で見たことでさえだまされてしまう。まして千年も前から伝わる話ならなおさらだ。でたらめを言う者は、庭先で起きたことでさえ偽って人をだませる。まして千年も昔のことならなおさらである。では聖人はなぜだまされないのか。答えて言う。聖人は自分自身を物差しとして測る者だからである。人によって人を測り、心情によって心情を測り、同類のものによって同類を測り、主張によってその成果を測り、道によって全体を見通す。古今を貫いて道理は一つである。同類のものが道理に背かないかぎり、長い時間がたっても理は同じである。だから、よこしまなものに向き合っても迷わず、雑多なものを見ても惑わないのは、この物差しで測るからである。五帝より前に名の伝わる人物がいないのは、賢人がいなかったからではなく、時代が遠いからである。五帝の時代に伝わる政治がないのは、よい政治がなかったからではなく、時代が遠いからである。禹や湯王には伝わる政治があるが、周ほど詳しくないのは、よい政治がなかったからではなく、時代が遠いからである。伝承というものは、古ければ大まかになり、近ければ詳しくなる。大まかなら大筋だけが残り、詳しければ細かい点まで残る。愚か者は、大まかな話を聞いて細部を知らず、細かい話を聞いて大筋をつかまない。こうして文物は時とともに滅び、音楽の節回しは時とともに絶えてしまうのである。