商君書 / 徠民
秦之所與鄰者、三晉也、所欲用兵者、韓魏也。彼土狹而民眾、其宅參居而并處、其賓萌賈息。民上無通名、下無田宅、而恃姦務末作以處。人之復陰陽澤水者過半。此其土之不足以生其民也、似有過秦民之不足以實其土也。意民之情、其所欲者、田宅也、而晉之無有也信、秦之有餘也必、如此而民不西者、秦士戚而民苦也。
新字:秦之所与鄰者、三晋也、所欲用兵者、韓魏也。彼土狭而民衆、其宅参居而并処、其賓萌賈息。民上無通名、下無田宅、而恃姦務末作以処。人之復陰陽沢水者過半。此其土之不足以生其民也、似有過秦民之不足以実其土也。意民之情、其所欲者、田宅也、而晋之無有也信、秦之有余也必、如此而民不西者、秦士戚而民苦也。
書き下し
秦の鄰と與にする所の者は、三晉なり。兵を用いんと欲する所の者は、韓魏なり。彼は土狹くして民眾く、その宅は參居して并處し、その賓萌は賈息す。民は上に通名無く、下に田宅無くして、姦に恃み末作を務めて以て處る。人の陰陽澤水に復する者、半ばを過ぐ。これその土のその民を生かすに足らざるなり、秦の民のその土を實たすに足らざるに過ぐる有るに似たり。意うに民の情、その欲する所の者は、田宅なり。而して晉のこれ有る無きは信なり、秦の餘り有るは必なり。此くの如くして民の西せざるは、秦の士は戚みて民は苦しめばなり。
現代語訳
秦が隣り合っているのは三晋(韓・魏・趙)である。兵を用いたい相手は韓と魏である。あちらは土地が狭くて民が多く、住まいは三重にも重なって密集し、寄留者は商いで利息を稼いでいる。民は上には登録された名前がなく、下には田も家もなく、悪事に頼り末端の商いに従って暮らしている。日陰の地や沢や水辺に身を寄せている者が半分を超える。これはその土地がその民を養えないということであり、秦の民が自分の土地を満たせないでいるのより、もっとひどい。思うに民の心情として、欲しいものは田と家である。そして晋にそれがないのは確かであり、秦に余っているのは間違いない。それなのに民が西へ来ないのは、秦の役人が厳しく民が苦しんでいるからである。
解説
この章句が説くこと
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