商君書 / 兵守
故曰客、治簿檄、三軍之多、分以客之候車之數。三軍:壯男為一軍、壯女為一軍、男女之老弱者為一軍、此之謂三軍也。壯男之軍、使盛食厲兵、陳而待敵。壯女之軍、使盛食負壘、陳而待令。客至而作土以為險阻及柞格阱陷、發梁徹屋、給徙、徙之、不給而熯之、使客無得以助攻備。老弱之軍、使牧牛馬羊彘、草水之可食者、收而食之、以獲其壯男女之食。而慎使三軍無相過。壯男過壯女之軍、則男貴女、而姦民有從謀而國亡、喜與其恐、有蚤聞、勇民不戰。壯男壯女過老弱之軍、則老使壯悲、弱使強憐、悲憐在心、則使勇民更慮、而怯民不戰。故曰慎使三軍無相過、此盛力之道。
新字:故曰客、治簿檄、三軍之多、分以客之候車之数。三軍:壮男為一軍、壮女為一軍、男女之老弱者為一軍、此之謂三軍也。壮男之軍、使盛食厲兵、陳而待敵。壮女之軍、使盛食負塁、陳而待令。客至而作土以為険阻及柞格阱陥、発梁徹屋、給徙、徙之、不給而熯之、使客無得以助攻備。老弱之軍、使牧牛馬羊彘、草水之可食者、収而食之、以獲其壮男女之食。而慎使三軍無相過。壮男過壮女之軍、則男貴女、而姦民有従謀而国亡、喜与其恐、有蚤聞、勇民不戦。壮男壮女過老弱之軍、則老使壮悲、弱使強憐、悲憐在心、則使勇民更慮、而怯民不戦。故曰慎使三軍無相過、此盛力之道。
書き下し
故に曰く、客あらば、簿檄を治め、三軍の多きは、分かつに客の候車の數を以てす、と。三軍とは、壯男を一軍と為し、壯女を一軍と為し、男女の老弱なる者を一軍と為す。これをこれ三軍と謂うなり。壯男の軍は、食を盛んにし兵を厲まし、陳して敵を待たしむ。壯女の軍は、食を盛んにし壘を負い、陳して令を待たしむ。客至らば土を作して以て險阻及び柞格阱陷と為し、梁を發き屋を徹し、徙るに給せば、これを徙し、給せざれば而ちこれを熯き、客をして以て攻備を助くるを得る無からしむ。老弱の軍は、牛馬羊彘を牧し、草水の食らうべき者、收めてこれを食らわしめ、以てその壯男女の食を獲しむ。而して慎みて三軍をして相い過ぐる無からしむ。壯男、壯女の軍に過ぐれば、則ち男は女を貴びて、姦民は從いて謀る有りて國は亡ぶ。喜びとその恐れと、蚤く聞こゆる有らば、勇民も戰わず。壯男壯女、老弱の軍に過ぐれば、則ち老は壯をして悲しましめ、弱は強をして憐れましむ。悲憐、心に在らば、則ち勇民をして更に慮らしめて、怯民は戰わず。故に曰く、慎みて三軍をして相い過ぐる無からしむ、と。これ力を盛んにするの道なり。
現代語訳
だからこう言う。敵が来たら名簿と触れ書きを整え、三軍の人数は敵の斥候車の数に応じて割り振る、と。三軍とは、壮年の男を一軍、壮年の女を一軍、男女の老人と幼弱な者を一軍とする。これを三軍という。壮年男子の軍には食を十分に取らせ武器を研がせ、陣を敷いて敵を待たせる。壮年女子の軍には食を十分に取らせ土嚢を担がせ、陣を敷いて命令を待たせる。敵が来たら土を掘って険阻な地形や逆茂木・落とし穴を作り、橋を落とし家屋を取り壊す。運べるものは運び、運べないものは焼いて、敵が攻撃の備えに使えないようにする。老弱の軍には牛・馬・羊・豚を放牧させ、草や水で食べられるものを集めて食べさせ、壮年男女の食糧を確保させる。そして慎重に、三つの軍が互いに行き来しないようにする。壮年の男が壮年の女の軍に行き来すれば、男は女を気にかけ、悪心のある者がそれに乗じて謀るようになって国は滅びる。喜びも恐れも、早くに伝わってしまえば、勇敢な民も戦わなくなる。壮年の男女が老弱の軍に行き来すれば、老人は壮年の者を悲しませ、弱い者は強い者に憐れみを起こさせる。悲しみと憐れみが心にあれば、勇敢な民も考え直し、臆病な民は戦わなくなる。だから、慎重に三つの軍が互いに行き来しないようにせよ、というのだ。これが力を満たす道である。
解説
この章句が説くこと
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論語・里仁篇子曰く、「我未だ仁を好む者と、不仁を悪む者とを見ざるなり。仁を好む者は、以て之に尚(くわ)うる無し。不仁を悪む者は、其れ仁を為すや、不仁者をして其の身に加えしめず。能く一日其の力を仁に用うること有らんか。我未だ力足らざる者を見ざるなり。蓋し之有らん、我未だ之を見ざるなり。」
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史記 孫子呉起列伝起の将為るや、士卒の最下の者と衣食を同じくす。臥するに席を設けず、行くに騎乗せず、親ら贏糧を裹ひ、士卒と労苦を分かつ。卒に疽を病む者有り、起、為に之を吮ふ。卒の母、聞きて之に哭す。人曰く、「子は卒なり、而るに将軍自ら其の疽を吮ふ、何ぞ哭するを為す」と。母曰く、「然るに非ざるなり。往年、呉公、其の父を吮ひ、其の父、戦ひて踵を旋さず、遂に敵に死す。呉公今又其の子を吮ふ。妾、其の死所を知らず。是を以て之を哭す」と。
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六韜・励軍武王 太公に問ひて曰く、「吾 三軍の衆をして、城を攻むれば先登を争ひ、野戦すれば先赴を争ひ、金の声を聞きて怒り、鼓の声を聞きて喜ばしめんと欲す。之を為すこと奈何」と。太公曰く、「将に三あり」と。武王曰く、「敢へて其の目を問はん」と。太公曰く、「将 冬に裘を服ず、夏に扇を操らず、雨に蓋を張らず、名づけて礼将と曰ふ。将 身づから礼を服せざれば、以て士卒の寒暑を知る無し。隘塞を出で、泥塗を犯すには、将 必ず先づ下りて歩む、名づけて力将と曰ふ。将 身づから力を服せざれば、以て士卒の労苦を知る無し。軍 皆な次を定めて、将 乃ち舎に就く。炊ぐ者 皆な熟して、将 乃ち食に就く。軍 火を挙げざれば、将も亦た挙げず、名づけて止欲将と曰ふ。将 身づから止欲を服せざれば、以て士卒の飢飽を知る無し。将 士卒と寒暑・労苦・飢飽を共にす、故に三軍の衆、鼓の声を聞けば則ち喜び、金の声を聞けば則ち怒る。高城深池、矢石 繁く下るも、士は先登を争ふ。白刃 始めて合ふも、士は先赴を争ふ。士は死を好みて傷つくを楽しむに非ざるなり。其の将の寒暑・飢飽を知ること審らかにして、労苦を見ること明らかなるが為なり」と。