商君書 / 算地
聖人非能以世之所易、勝其所難也、必以其所難、勝其所易。故民愚、則知可以勝之、世知、則力可以勝之。民愚、則易力而難巧、世巧、則易知而難力。故神農教耕而王天下、師其知也、湯武致彊而征諸侯、服其力也。今世巧而民淫、方倣湯武之時、而行神農之事、以隨世禁、故千乘惑亂。此其所加務者、過也。
新字:聖人非能以世之所易、勝其所難也、必以其所難、勝其所易。故民愚、則知可以勝之、世知、則力可以勝之。民愚、則易力而難巧、世巧、則易知而難力。故神農教耕而王天下、師其知也、湯武致彊而征諸侯、服其力也。今世巧而民淫、方倣湯武之時、而行神農之事、以随世禁、故千乗惑乱。此其所加務者、過也。
書き下し
聖人は能く世の易しとする所を以て、その難しとする所に勝つに非ず、必ずその難しとする所を以て、その易しとする所に勝つ。故に民愚なれば、則ち知は以てこれに勝つべく、世知なれば、則ち力は以てこれに勝つべし。民愚なれば、則ち力を易んじて巧を難んじ、世巧なれば、則ち知を易んじて力を難んず。故に神農は耕を教えて天下に王たり、その知を師とすればなり。湯武は彊を致して諸侯を征す、その力に服すればなり。今、世は巧にして民は淫す。方に湯武の時に倣うべきに、而も神農の事を行い、以て世の禁に隨う。故に千乘は惑亂す。これその務めを加うる所の、過ちなり。
現代語訳
聖人は、世間がたやすいとすることで難しいほうに勝つのではなく、必ず難しいほうでたやすいほうに勝つ。だから民が愚かであれば知恵で勝つことができ、世が知恵に長けていれば力で勝つことができる。民が愚かであれば、力を出すのは容易で工夫が難しい。世が巧みであれば、知恵を出すのは容易で力を出すのが難しい。だから神農は耕作を教えて天下の王となった。その知恵を師としたからである。湯王・武王は強さを極めて諸侯を征伐した。その力に服させたからである。いまや世は巧みになり民は放縦になっている。まさに湯王・武王のやり方に倣うべきときなのに、神農の(知恵で教える)やり方を行い、世間の禁忌に付き従っている。だから千乗の国は迷い乱れるのだ。これが力の入れどころを誤っているということである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『商君書』開塞夫れ王道は一端にして、臣道も一端なり。道とする所は則ち異なりて、繩とする所は則ち一なり。故に曰く、民愚なれば、則ち知は以て王たるべく、世知なれば、則ち力は以て王たるべし、と。民愚なれば、則ち力に餘り有りて知足らず、世知なれば、則ち巧に餘り有りて力足らず。民の性、知らざれば則ち學び、力盡くれば則ち服す。故に神農は耕を教えて天下に王たり、その知を師とすればなり。湯武は強を致して諸侯を征す、その力に服すればなり。夫れ民愚なれば、知を懷かずして問い、世知なれば、餘力無くして服す。
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『商君書』算地故に聖人の國を為むるや、民の資は地に藏まりて、偏えに危うきを外に託す。地に資すれば則ち樸、危うきを外に託すれば則ち惑う。民、入りては則ち樸、出でては則ち惑う。故にその農は勉めて戰は戢まるなり。民の農勉むれば則ち資は重く、戰戢まれば則ち鄰は危うし。資重ければ則ち負いて逃るべからず、鄰危うければ則ち資無きに歸せず。危うきに歸し外に託するは、狂夫の為さざる所なり。故に聖人の國を為むるや、俗を觀て法を立つれば則ち治まり、國を察し本を事とすれば則ち宜し。時俗を觀ず、國本を察せざれば、則ちその法立ちて民は亂れ、事は劇しくして功は寡なし。これ臣の所謂る過ちなり。
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『商君書』算地民の性、度りて長きを取り、稱りて重きを取り、權りて利を索む。明君慎みて三者を觀れば、則ち國治は立つべくして、民能は得べし。國の民に求むる所以の者は少なくして、民の求めを避くる所以の者は多し。入りては民をして農に屬せしめ、出でては民をして戰に壹ならしむ。故に聖人の治むるや、禁を多くして以て能を止め、力に任じて以て軸を窮む。兩者、偏えに用うれば則ち境內の民は壹なり。民壹なれば則ち農し、農すれば則ち樸、樸なれば則ち安居して出づるを惡む。
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『商君書』算地故に聖人の國を為むるや、入りては民に令して以て農に屬せしめ、出でては民に令して以て戰を計らしむ。夫れ農は民の苦しむ所にして、戰は民の危うしとする所なり。その苦しむ所を犯し、その危うしとする所を行う者は、計なり。故に民は生くれば則ち利を計り、死すれば則ち名を慮る。名利の出づる所は、審らかにせざるべからざるなり。利、地に出づれば、則ち民は力を盡くし、名、戰に出づれば、則ち民は死を致す。入りて民をして力を盡くさしむれば、則ち草は荒れず、出でて民をして死を致さしむれば、則ち敵に勝つ。敵に勝ちて草荒れざれば、富強の功は、坐して致すべきなり。
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『商君書』慎法千乘にして能く以て守る者は、自ら存するなり。萬乘にして能く以て戰う者は、自ら完うするなり。桀、主と為ると雖も、肯えて半辭を詘して以てその敵に下らず。外に戰うこと能わず、內に守ること能わざれば、堯、主と為ると雖も、不臣を以て所謂る若かざるの國に諧うこと能わず。此れよりこれを觀れば、國の重んぜらるる所以、主の尊ばるる所以の者は、力なり。耕戰の二者は、力の本なり。
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『商君書』農戦故に曰く、百人農して一人居る者は王たり、十人農して一人居る者は強し、半ば農し半ば居る者は危うし、と。故に國を治むる者は民の農せんことを欲するなり。國農せざれば、則ち諸侯と權を爭うも自ら持すること能わざるなり、則ち眾力足らざればなり。故に諸侯はその弱きに撓り、その衰うるに乘じ、土地は侵削されて振わざれば、則ち及ぶ無きのみ。聖人は國を治むるの要を知る、故に民をして心を農に歸せしむ。心を農に歸すれば、則ち民は樸にして正すべきなり。紛紛たれば、則ち使い易からず、信なれば、以て守戰すべきなり。壹なれば、則ち軸少なくして居るを重んず、壹なれば、則ち賞罰を以て進むべきなり、壹なれば、則ち以て外に用うべきなり。