商君書 / 更法
孝公曰:「善。」甘龍曰:「不然。臣聞之、聖人不易民而教、知者不變法而治。因民而教者、不勞而功成、據法而治者、吏習而民安。今若變法、不循秦國之故、更禮以教民、臣恐天下之議君、願孰察之。」
新字:孝公曰:「善。」甘竜曰:「不然。臣聞之、聖人不易民而教、知者不変法而治。因民而教者、不労而功成、拠法而治者、吏習而民安。今若変法、不循秦国之故、更礼以教民、臣恐天下之議君、願孰察之。」
書き下し
孝公曰く、「善し」と。甘龍曰く、「然らず。臣これを聞く、聖人は民を易えずして教え、知者は法を變ぜずして治む、と。民に因りて教うる者は、勞せずして功成り、法に據りて治むる者は、吏は習いて民は安んず。今若し法を變じ、秦國の故に循わず、禮を更めて以て民を教えなば、臣は天下の君を議するを恐る。願わくはこれを孰察せよ」と。
現代語訳
孝公は「よろしい」と言った。すると甘龍が言った。「そうではありません。私はこう聞いております。聖人は民を作り変えずに教え、知者は法を変えずに治める、と。いまある民のありようによって教えれば、苦労せずに功があがりますし、いまある法に拠って治めれば、役人は仕事に習熟し民は安心します。ところがいま法を変え、秦国の従来のやり方に従わず、礼を改めて民を教えるとなれば、私は天下が君を非難することを恐れます。どうかよくお考えください」。
解説
反対側の言い分がきちんと記録されているのが、この篇の見どころである。甘龍の主張は保身ではない。「吏は習いて民は安んず」——現場が手順に習熟していること、民が先を読めること、その二つが失われる代償を言っている。制度変更の実務でいちばん高くつくのがここだ、というのは今でも変わらない。商君書は法家の書だが、変えることの代償を述べさせたうえで反論する形式をとっている。反対意見をこの水準で言語化できる相手がいる組織のほうが、改革の質は上がる。
この章句が説くこと
聖人は民を易えずして教う吏は習い民は安んず甘竜変えない側の言い分組織変革
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