伝習録 / 徐愛録
又曰:「唐、虞以上之治,後世不可復也,略之可也;三代以下之治,後世不可法也,削之可也;惟三代之治可行。然而世之論三代者,不明其本而徒事其末,則亦不可復矣。」
書き下し
又た曰く、「唐・虞以上の治は、後世復すべからざるなり。之を略するも可なり。三代以下の治は、後世法とすべからざるなり。之を削るも可なり。惟だ三代の治のみ行うべし。然れども世の三代を論ずる者は、其の本を明らかにせずして徒らに其の末を事とせば、則ち亦た復すべからざるなり」と。
現代語訳
また言った。「唐・虞以前の治は、後世に取り戻せない。省いてよい。三代以降の治は、後世の手本にできない。削ってよい。ただ三代の治だけが行える。しかし世の三代を論じる者が、その根本を明らかにせず、ただ末端を事とすれば、それも取り戻せない」。
解説
過去の成功事例や手本を学ぶ際、その表面的な制度や形だけを真似ても、期待する結果は得られません。本当に大切なのは、その成功の「根本」にある考え方や精神を理解し、自分の状況に合わせて応用することです。形だけを追うのではなく、なぜそれが成功したのか、その本質的な理由を深く探求する姿勢が、現代の課題解決や新しい価値創造においても、私たちに真の学びと成長をもたらしてくれるでしょう。
この章句が説くこと
惟三代之治可行不明其本而徒事其末則亦不可復矣継承
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