塩鉄論 / 大論篇
大夫撫然內慚、四據而不言。當此之時、順風承意之士如編、口張而不歙、舌舉而不下、闇然而懷重負而見責。大夫曰︰「諾、膠車倏逢雨、請與諸生解。」
新字:大夫撫然内慚、四拠而不言。当此之時、順風承意之士如編、口張而不歙、舌舉而不下、闇然而懐重負而見責。大夫曰︰「諾、膠車倏逢雨、請与諸生解。」
書き下し
大夫は撫然として內に慚じ、四據して言わず。此の時に當たりて、風に順い意を承くるの士は編めるが如く、口は張りて歙まず、舌は舉がりて下らず。闇然として重負を懷きて責めらるるを見る。大夫曰く、諾。膠車の倏かに雨に逢えり。請う、諸生と解かん。
現代語訳
大夫は気落ちして内心恥じ、両手をついたまま何も言わなかった。そのとき、風向きに従って意を汲んできた者たちは編まれたように並び、口を開いたまま閉じられず、舌が上がったまま下りない。黙り込んだまま重い荷を抱えて、責められる立場に立たされていた。大夫が言った。「わかった。膠でつないだ車が急に雨に遭ったようなものだ。諸君、これで散会としよう」
解説
六十篇の討論が終わる場面です。大夫は気落ちして内心恥じ、両手をついたまま何も言わなくなりました。風向きに従って意を汲んできた者たちは、口を開いたまま閉じられず、舌が上がったまま下りない。追従していた側が、いっせいに言葉を失った絵です。最後の一言は大夫でした。**膠でつないだ車が急に雨に遭ったようなものだ。諸君、これで散会としよう。**負けを認めるでも撤回するでもなく、ただ場を閉じる言い方です。
この章句が説くこと
膠車の倏かに雨に逢えり請う諸生と解かん風に順い意を承くるの士は口張りて歙まず舌舉がりて下らず大夫は撫然として内に慚じ四拠して言わず終幕沈黙追従
関連する章句
-
論語・季氏篇孔子曰く、禄の公室を去ること、五世なり。政の大夫に逮ぶこと、四世なり。故に夫の三桓の子孫、微なり。
-
呂氏春秋・重言①人主の言は、慎まざる可からず。高宗は天子なり。位に即くや諒闇して、三年言わず。卿大夫恐懼して、之を患う。高宗乃ち言いて曰く、「余一人を以て四方を正す。余唯だ言の類からざるを恐るるなり。茲の故に言わず。」古の天子は、其の言を重んずること此くの若し。故に言に遺う者無し。
-
『韓非子』初見秦第一然り而して兵甲頓れ、士民病み、蓄積索き、田疇荒れ、囷倉虚しく、四隣の諸侯服せず、霸王の名成らず。此れ異なる故無し、其の謀臣皆な其の忠を尽くさざればなり。
-
『塩鉄論』雜論篇異なるかな吾が聞く所。周・秦は粲然として、皆な天下を有ちて南面す。然れども安危長久、世を殊にす。始め汝南の朱子伯、予が為に言う。此の時に當たりて、豪俊並び進み、四方輻湊す。賢良茂陵の唐生、文學魯國の萬生の倫、六十餘人、咸な闕庭に聚まり、六藝の風を舒べ、太平の原を論ず。智者は其の慮りを贊け、仁者は其の施しを明らかにし、勇者は其の斷を見し、辯者は其の詞を陳ぶ。誾誾焉たり、侃侃焉たり。未だ詳備なる能わずと雖も、斯れ略ぼ觀る可し。然れども雲霧に蔽われ、終に廢れて行われず。悲しいかな。公卿は武に任ずるの以て地を辟く可きを知りて、德を廣むるの以て遠きを附く可きを知らず。權利の以て用を廣む可きを知りて、稼穡の以て國を富ます可きを知らざるなり。近き者親附し、遠き者德に說ばば、則ち何をか為して成らず、何をか求めて得ざらん。斯の路に出でずして、利を畜え威を長ずるを務むるは、豈に謬らずや。中山の劉子雍は王道を言い、當世を矯め、諸を正に復す。務めは本に反るに在り。直にして僥らず、切にして〔一字を欠く〕ず。斌斌然たり。斯れ弘博の君子と謂う可し。九江の祝生は由・路の意を奮い、史魚の節を推し、憤懣を發し、公卿を刺譏す。介然として直くして撓まず、強禦を畏れずと謂う可し。桑大夫は當世に據り、時變に合わせ、道術を推し、權利を尚び、略を辟きて小辯す。正法に非ずと雖も、然れども巨儒宿學も恧然として、自ら解く能わず。博物通士と謂う可し。然れども卿相の位を攝りて、準繩を引かず、道を以て下を化せず、利末に放り、始古を師とせず。易に曰く、「焚くが如く棄つるが如し」と。位に非ざるに處り、道に非ざるを行い、果たして其の性を隕とし、以て厥の宗に及ぶ。車丞相は周・呂の列に即き、軸に當たり中に處るも、囊を括りて言わず、身を容れて去る。彼れなるかな、彼れなるかな。夫の群丞相・御史の若きは、正議して以て宰相を輔くる能わず、同類を成し、同行を長じ、意に阿り茍合して、以て其の上を說ばす。斗筲の人、道諛の徒、何ぞ算うるに足らんや。